下関市中之町 亀山八幡宮

亀山八幡宮は長門国三宮
地元では「亀山さん」と呼ばれています。
この神社の境内に砲台が設置され、
攘夷戦の第1発が発射されました。
境内に砲台が設置された理由は、
海に面していた神社だったからでしょう。
※現在は埋め立てらて海に面してはいない。



埋め立てされていない当時の亀山八幡宮。
石段の奥側が堂崎の渡し場で、
そこにある建物が津口番所と思われます。
下関市唐戸町 堂崎の渡し場跡


現在の亀山八幡宮。

大鳥居の石段を上がった境内に、
砲台が設置されていたようです。
その後に諸外国が報復攻撃を仕掛け、
村々や他の砲台は甚大な被害を被りますが、
砲台と社殿に殆ど被害が無かったので、
人々は弾除け八幡と呼ぶようになりました。

大鳥居は当時と現在のものは別物。
昭和8年に建てられたものが現在のもので、
御影石で作られた鳥居の中では日本最大級。
※当時の鳥居は裏手の車参道口に移設。


額に挟まった軟式ボール」。
昭和30年代に鳥居前で野球していた際、
竹の棒で軟式ボールを打ち、
額の「」の部分に挟まったんだとか。
参拝した下関商業甲子園で、
春に優勝して夏に準優勝したり、
西鉄ライオンズ池永正明が活躍。
 黒い霧事件で追放された悲劇のエース。

早鞆高校夏の大会で準優勝しますので、
※後の演歌歌手山本譲二が所属。
野球の神様とも呼ばれています。


社殿」は今年リニューアル。


亀山砲台跡」。
海に向けて砲台が並べられていたようです。
現在は埋め立てられていますが、
当時はすぐ下が海岸線でした。
当時の大砲の飛距離は400m程らしいので、
狭い海峡でも弾は届かなかったでしょう。


お亀茶屋跡」の説明板。
伊藤博文婦人梅子が勤めたお亀茶屋の跡地。
伊勢屋小四郎邸で刺客に襲われた伊藤は、
梅子に匿われて難を逃れたという。


亀山八幡宮裏参道」。
伊勢屋小四郎邸から逃げてきた伊藤は、
この裏参道を通って逃げたようです。

亀山八幡宮には色々と珍しいものが多く、
これもそのひとつ。

ふくの像」。
日本一のフグの銅像とされていますが、
そんなにフグの銅像は無いと思いますが、
とりあえずは日本一のようです。
この「ふくの像」は戦前からあったもので、
戦中に金属供出で失われたようで、
この像は地元有志により再建されたもの。
他にも面白いものが沢山あるのですが、
幕末と関係ないので割愛。

この亀山八幡宮は唐戸市場のすぐ傍で、
観光で来た人々は必ず訪れる場所ですが、
それに見合うだけの観光名所ではあります。

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