下関市清末 村上倫と孝女政の碑

清末藩はわずか1万石の小藩ながら、
長州藩の支藩(正確には孫藩)として、
本藩家老並みの貢献をしています。

清末藩士達も藩主を助け、
七卿落ち内訌戦幕長戦争に活躍。
村上倫もその一人でした。
冷静沈着知略ありと称されたようで、
宗藩の明倫館にも留学した秀才でした。
攘夷決行に際しては光明寺党に参加し、
前田砲台の建設にも従事。
長州内訌戦対馬藩の内訌で調停役も務め、
維新後は藩校育英館の塾頭として、
子弟教育に従事しています。

死後に彼の功績が認められて従五位が追贈。
これを記念して碑が建てられました。

贈従五位村上倫」の碑。
清末八幡宮下の山陽道沿いにある碑。
場所は清末中町1丁目4
「贈従五位村上倫」としか書かれておらず、
なんだ神道式の招魂墓のようです。

そこから山陽道を北にちょっと進むと、
道しるべの様な小さな碑がありました。

孝女政宅跡」。
孝女政は母や夫によく仕えて、
殿様からも褒められたという女性。
別に「孝行塚」も建てられています。
※記事はこちら
孝行だけで碑になるのは凄い事ですが、
褒めた殿様毛利元純もなかなかですね。

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