下関市観音崎町 永福寺の幽霊掛軸

下関に菊屋という海産物問屋があって、
そこの夫婦はたいへんに仲が悪く
心優しい一人娘お菊は心を痛めていました。

そこでお菊は夫婦仲が良くなるようにと、
毎日お寺に願掛けに通いましたが、
夫婦仲は一向に良くなりません。
いつしか菊の気苦労は体にまで及び、
ついに倒れたお菊は息を引き取りました。

その夜にお寺にお菊の幽霊が現れ、
和尚に「両親の事を頼む」と告げます。
話を聞きながら和尚はその姿を書き写すと、
丁度そこへお菊の両親がやってきたので、
和尚さんはお菊の幽霊の事を話し、
不仲の両親を戒めました。。

それ以降、お菊の両親は仲が良くなり、
父も商売に精を出すようになりました。
このお寺ではご本尊様の御開帳の際、
お菊の幽霊の絵も出して、
夫婦仲の大切さを説くようになったという。
この御開帳の事を「幽霊祭」と言い、
現在まで伝わっています。

7月7日夜。
幽霊の絵のご開帳に行きました。

メインはあくまで本尊のご開帳。
脇に小さく幽霊掛軸公開と書いてます。


結構急な石段を登ります。


足に乳酸を溜めながら登りましたが、
あら?まだ半分?


途中。海峡を望むと意外と絶景。


これが幽霊掛軸


綺麗ですね。
やはり幽霊ですので足はありません。
足元にはしゃれこうべが描かれてます。
幽霊掛軸は人吉市の永国寺のものも有名。
永国寺のは恨みで化けたお妾さんの幽霊
非常に恐ろしい姿をしています。
けれどもこの永福寺の幽霊は、
親の不仲を案じて化けてでた幽霊なので、
なんだか美しくももの悲しい雰囲気です。

両親の仲が悪いと子供が心を痛める。
今も昔も一緒なんですよね。

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民話「あかずの扉」
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