山口県熊毛郡 四階楼と吉田松陰詩碑

山口県熊毛郡の上関下関と同様に、
船荷をチェックする関所があった場所で、
京に近い順で上関、中関、下関と呼ばれました。
ちなみに中関は三田尻にあります。

上関は良い雰囲気の漁村といった感じで、
美味しい魚が食べれそうな場所ですが、
残念ながら宿泊は隣の柳井市
※柳井市も良いところです。

この上関に四階楼という面白い建物があります。


四階楼」。
明治12年に建てられた擬洋風建築
第二奇兵隊参謀の小方謙九郎が建てたもので、
小方は奇兵隊に入隊して下関攘夷戦に参加。
その後に第二奇兵隊参謀となり、
幕長戦争では大島戦争に参加しています。
維新後は隊を離れて商売を始め、
室津で海運業や汽船宿を経営した他、
後に室津の村会議員にもなっています。
擬洋風建築とは西洋風の日本建築の事で、
当初は住宅兼店舗、汽船宿として利用され、
その後は旅館となっていましたが、
閉業後の平成11年に保存されました。


擬洋風建築ということですので中は和風。
ステンドグラスや天井・壁の装飾で、
西洋風なイメージにしています。
この写真は4階ですがどの階も同じ広さで、
上へ登っても狭くならない天守閣な感じ。


4階の天井に装飾された鳳凰
木製の見事な鳳凰ですね。


各階も同じような和風ですが、
それぞれに西洋風の装飾がありました。
雲龍唐獅子牡丹などの鏝絵もあり独特です。

四階楼を出て上関海峡へ。
室津半島長島を結ぶ上関大橋のたもとに、
吉田松陰の詩碑があります。

吉田松陰詩碑」。
嘉永6年にロシア軍艦に乗り込む為、
江戸から長崎に向かいますが、
その途中で上関に立ち寄っています。
その寄港時に詠んだ詩が刻まれていました。


詩碑の近くには詩の意味がわかるように、
説明文が書かれていました。
親切ですね。こういうの大事ですよ。

 故郷に帰っている夢をみていた時、
 船頭が上関についたと大声を出したので、
 目が覚めると涙でぐっしょりぬれていた。
 夢が夢だったので船室から起き上がるのが、
 遅かったといって怪しまないでほしい。
 それに今晩は室津に泊まって明日は九州。
 これで長州の地も見おさめになる。
 故郷の山に未練がないといえば嘘になるが、
 国を捨てたのだから、

 故国の山を見るのは辛くて忍びない。

松陰らしいセンチメンタルな詩ですね。

■関連記事■
熊毛郡上関町 東山台場跡
 上関に設置された台場跡。
広島県廿日市市 残念さん(残念社)
 吉田松陰が腰を掛けた石があります。
萩市 明木橋(吉田松陰詩碑)
 萩に護送された松陰が詠んだ詩の碑。

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