下関市豊北町 松陰母堂生家村田家跡

吉田松陰の母杉瀧の実家村田家が整備され、
顕彰碑も建てられたので行ってみました。


村田記念公園」。
瀧の実家村田家が滝部を離れた後、
竹林となって荒れ果てていた跡地を、
大河ドラマ「花燃ゆ」放送を記念して、
地元住民らが公園として整備したもの。


村田家顕彰之碑」。
現総理大臣安倍晋三の揮毫による顕彰碑。
村田家は阿川毛利家の家臣だったようで、
代々この地に屋敷を構え、
農業、馬医を生業としていたようです。
瀧の父村田右中萩下屋敷の番人で、
家族で萩に在住した際に瀧が生まれました。
瀧は大組士兒玉太兵衛の養女となり、
そのうえで杉家に嫁いだようで、
微禄とはいえ杉百合之助は直参藩士であり、
陪臣の村田家の娘が嫁ぐには、
相応の格好が必要だったのでしょう。
当時の杉家は火災で家を失っており、
松陰の生家である松本村の山荘は、
瀧の父右中が購入して贈ったものらしく、
直参の杉家よりも財力はあったようです。
※瀧の婚礼後に村田家はここに戻りました。

瀧の兄で幼くして僧となった竹院は、
萩の徳隣寺で修行しており、
諸国行脚した後に鎌倉円覚寺に止錫。
鎌倉瑞泉寺の二四世住職となった後、
円覚寺の一九八世住職となり、
さらに京都南禅寺の住職になり、
孝明天皇より紫衣を下賜されています。
松陰も彼を敬愛していたようで、
江戸滞在中に彼に会いに行ったり、
野山獄幽閉中に漢詩を贈ったりしました。

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 村田家は阿川毛利家の家臣。

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