京都府京都市 伏見桃山陵

下関には安徳天皇の陵墓がありますが、
殆どの天皇陵は近畿地方にあります。
※参考地以外で近畿ではないのは、
 東京の大正天皇昭和天皇陵と、
 讃岐に配流された崇徳天皇陵のみ。

せっかく伏見に来たのですから、
是非とも明治天皇陵に参ろうと思い、
歩いて伏見桃山陵に向いました。

陵域は砂利が敷き詰められた道が続きます。
訪問時には雨が降っていましたが、
傘を差して参道を歩いて進みました。
林道は神聖な雰囲気を醸し出しています。


伏見桃山陵」。
参道を1km程歩くと到着します。
明治天皇は現在の皇居明治宮殿で崩御。
遺言により京都に埋葬されました。
崩御より約1ヵ月半後に大喪の礼を執行し、
柩は御霊柩列車で伏見まで運ばれ、
ここに埋葬されました。

一部の世間知らずがすり替え論だの、
大室寅之祐だの簡単に論破できる説を、
ネットに垂れ流している現状。
死後もこれだけ汚されている天皇は、
明治天皇しかいないと思います。
本人は質素を旨とし、
自己を律すること峻厳し、
天皇としての威厳の保持に努めました。
国民と苦楽を共にするという信念を持ち、
戦時は暖炉も使わなかったという。
また伝統を重んじながらも、
良いものは取り入れる姿勢も示しています。
和歌を好み記憶力にも優れ、
高い教養を持っていたとも伝えられます。
本人の行動のみをもってしても、
すり替えはありえないでしょうし、
当時の状況把握文献資料時代考証
確率的推測、前後の政治情勢など、
ほんの少しだけ勉強すれば、
絶対にありえないとわかる与太話
そんな与太話で汚されているです。
政治やイデオロギー達成の為に、
死者、そして天皇を冒涜する輩は、
日本から出て行って欲しいものです。


伏見桃山東陵」。
明治天皇の皇后である昭憲皇太后の陵墓。
夫の明治天皇の御陵と隣同士なのですが、
なにぶん巨大なので相当遠い・・。
日露戦争の前夜。
葉山御用邸坂本龍馬の夢を見て、
国民の士気向上に貢献した逸話があります。
明治天皇崩御の3年後の大正3年に崩御。


伏見乃木神社」。
殉死した乃木稀典を祀る乃木神社
伏見桃山陵のすぐ側にもあるのですね。
数社の電鉄の取締役を歴任した村野山人は、
明治天皇の「埋葬の義」には、
京阪電鉄取締役として参加していましたが、
乃木殉死の報を聞き強い衝撃と感銘を受け、
全ての役職を辞任して周囲の賛同を得て、
私財を投じて乃木神社を建立させています。

天皇の御陵に参拝するのは、
地元の阿彌陀寺陵(安徳天皇稜)以外で初。
前代の孝明天皇後月輪東山陵は
伏見桃山陵から北に6km位の位置にあり、
月輪東山陵から神式に改められました。
伏見桃山陵はさらに古式に則り、
上円下方墳という形を採用しており、
下段が方形、上段が円形となっています。
以降、陵墓は上円下方墳となりました。

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