岡山県岡山市 岡山城

岡山城宇喜田秀家が築城した平山城。
秀家は豊臣家五大老のひとりでしたが、
関ヶ原の戦い西軍とした戦って改易され、
同じく関ヶ原の戦いにおいて、
寝返った小早川秀秋が岡山城に入ります。

しかし秀秋は2年後に早逝してしまい、
無嫡であった為に小早川家は断絶。
池田輝政の次男池田忠継が別家を興し、
僅か5歳で岡山城に入封しました。
忠継の母は徳川家康の次女督姫であり、
徳川秀忠の養女鶴姫を正室に迎えていた為、
幕府との関係は非常に深かったのですが、
忠継は無嫡で死去してしまい、
同じく同母弟の池田忠雄が跡を継ぎます。

次代は若年で池田光仲が継ぎましたが、
山陽道の要所岡山では荷が重いと、
池田宗家鳥取藩と領地交換が行われ、
岡山藩は池田宗家が藩主として入封。
※鳥取藩池田宗家→岡山藩池田宗家。
 岡山藩池田家→鳥取藩池田家。
以後は池田宗家が岡山藩の藩主家として、
廃藩置県まで続いています。


目安橋」。
本丸大手門へと続く大手橋。
橋名は橋の袂に目安箱が設置されていた為。
池田宗家岡山藩初代藩主池田光政は、
江戸時代初期の名君のひとり。
日本最古の庶民学校閑谷学校の設立し、
新田開発や治水事業、子弟教育や倹約令、
宗教改革等の良政を行っています。
この目安箱もそのひとつで、
庶民の意見を集めて施政の参考としました。


鉄門跡」。
岡山城本丸は下段中段本段に別れ、
本丸大手門より本丸下段に入り、
この鉄門を通って本丸中段へと進みます。
ここに鉄板付櫓門が建てられていましたが、
明治15年に取り壊されました。


表向御殿跡」。
本丸中段にあった表向御殿の跡。
表向御殿は藩主の公邸兼藩庁として、
城内で最大の面積を誇る建造物。
明治12年に取り壊されています。


月見櫓」。
岡山城唯一の現存建築物
外側から見ると二層櫓ですが、
内側から見ると三層になっています。
城内で最も優美な姿の櫓だった為に、
唯一取り壊しを免れています。


不明門」。
本丸中段より本段へ続く櫓門。
本段は藩主の私生活を行う場所で、
限られた者しか入る事が出来ませんでした。
この櫓門は天守と共に再建されたもの。


天守閣」。
三層六階の漆黒の天守。
全国的に珍しい不等辺五角形の天守台で、
大坂城広島城と並び、
近世城郭の先駆け的な天守であり、
外観から別名「烏城」と呼ばれました。
取り壊しを免れて旧国宝となっていますが、
空襲で焼失してしまい、
昭和41年に再建されています。
黒くてカッコいい天守ですね。

天守閣裏手から廊下門を通って本丸下段へ。

開祖宇喜多氏顕彰之碑」。
岡山城を築城した宇喜多秀家の顕彰碑。
宇喜多家は織田信長に対し、
毛利家と共に備前で抗戦しますが、
後に毛利家と手を切って信長に臣従。
以後は織田勢として毛利勢と戦い、
備中高松城の水攻めにも参加しました。
後に豊臣秀吉が天下を取ると、
若き当主秀家は秀吉の寵愛を受けており、
秀吉の養女豪姫を正室に迎え、
※豪姫は前田利家の四女。
豊臣政権化で五大老となっています。

関ヶ原の戦いでは西軍として戦い敗北。
捕らえられて八丈島に流刑となっており、
そこで死去しました。


剣豪奥村寅吉翁之寿碑」。
明治後期から昭和の剣術家奥村寅吉の碑。
彼の父奥村左近太は幕末の人物で、
奥村二刀流の創始者でした。
諸国を廻って各地の剣術家と対戦し、
その末に二刀流を編み出しました。
維新後は多くの剣術大会で名を轟かせ、
明治最強の剣客のひとりと称されています。
息子の寅吉はこの奥村二刀流を継ぎ、
皇宮警察の剣道師範や、
大日本武徳会本部の剣道教授を務めました。

岡山城本丸を出て後楽園へ。

月見橋」。
本丸と後楽園を結ぶ橋。
藩政当時は木製の橋でした。
橋の長さは100m程で、
橋からの眺めはなかなかのものです。
たぶん月見にも最適だったのでしょう。


後楽園」。
金沢の兼六園、水戸の偕楽園と並ぶ、
日本三名園のひとつ。
2代藩主池田綱政により造営されたもので、
池泉回遊式の庭園として管理され、
後園または御後園などと呼ばれていました。
後楽園の名前は廃藩置県後の一般公開から。
東京の後楽園球場が連想されますが、
※現在の東京ドーム
それは水戸藩上屋敷内の庭園からの名称で、
江戸期から後楽園と呼ばれていた為、
岡山の後楽園の方が後から名乗っています。
庭園の規模は桁違いですが・・。

訪問時は早朝ですので開演前。
門だけ撮影して退散しました。


月見橋から岡山城天守閣を望む。
なかなかの景色です。

幕末の岡山藩藩主は、
水戸藩主徳川斉昭の九男池田茂政
つまり最後の将軍徳川慶喜の弟でした。
前藩主池田慶政は藩論をまとめる為、
尊攘派の盟主である斉昭の子を、
自分の養嫡子としたとされています。
茂政は慶喜に追討令が出されると、
実兄を討つ事は出来ぬと急遽隠居。
鴨方藩主池田章政がその跡を継ぎました。
章政は尊攘派からの信望が厚く、
新政府に従って藩兵を派遣しており、
北越奥羽箱館の各戦線を戦っています。

【岡山藩】
藩庁:岡山藩
藩主家:池田宗家
分類:31万5000石、外様大名(国持)

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