小松藩は直頼流一柳家が治める小藩。
西条6万3千石を与えられた一柳直盛は、
任地に赴く途中で病死してしまった為、
この遺領は3人の息子に分割されます。
嫡男の一柳直重が西条3万石を継ぎ、
次男の一柳直家が東側の川之江藩2万3千石、
三男の一柳直頼… 続きを読む
愛媛県西条市 小松陣屋跡
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小松藩は直頼流一柳家が治める小藩。
西条6万3千石を与えられた一柳直盛は、
任地に赴く途中で病死してしまった為、
この遺領は3人の息子に分割されます。
嫡男の一柳直重が西条3万石を継ぎ、
次男の一柳直家が東側の川之江藩2万3千石、
三男の一柳直頼… 続きを読む
今治藩久松松平家は松平定房の系譜で、
松平定勝の五男であった定房は、
伊勢国長島に7千石を領していましたが、
兄の松平定行が伊予松山藩に転封された際、
同時に今治藩3万石に加増転封となり、
以降は廃藩置県まで今治を治めました。
定房は隠居後は今治で過ごしていましたが、
延宝4年(1676)に死去し、… 続きを読む
今治城は藤堂高虎によって築城された平城で、
海水を利用した三重の堀を持っており、
「海城」にも分類されています。
現在は内堀を残して埋め立てられていますが、
堀を覗くと海に生息するサヨリ等が泳いでおり、
現在も海水が流れ込んでいる事がわかります。
「今治城跡」碑。
現在は本丸が吹揚公園として整備されており、
模擬天守… 続きを読む
伊予松山城より1.5km西にある道後温泉。
日本三大古湯のひとつとされ、
万葉集にもその記載が見られます。
聖徳太子も道後温泉に浸かったとされ、
天智天皇や天武天皇など歴代天皇も行幸。
中世には河野通盛が湯築城を築城し、… 続きを読む