五卿」タグアーカイブ

七卿落ち

文久3年8月18日
八月十八日の政変が発生。
大和行幸延期、急進派公家15人の禁足及び、
長州藩堺町門の警備の任から解き、
京都からの退去が勧告されます。
失脚した公家15人のうち、
三条実美七人の公卿(七卿)は、
※七卿は三条実美の他に、続きを読む

山口県山口市 朝倉八幡宮

朝倉八幡宮は貞観元年(859)創建とされ、
詳しい経緯はわかりませんが、
宇佐八幡宮より勧請されたようです。
大内家14代大内政弘の頃(室町後期)に、
今八幡宮と合併したようですが、
江戸中期の享保10年(1725)に再興し、
現在地に社殿が建立されました。


朝倉八幡宮」。
上記したように今八幡宮と合併され、
後に分かれて再興した珍しい神社。
本来は合併されると同一のものとなり、… 続きを読む

五卿の筑前行

第一次長州征伐の降伏条件として、
五卿領外移転が決定。
五卿は筑前へ移転する事となります。
長州藩大田絵堂の戦いの最中でしたが、
下関で留守を守る諸隊と伊藤俊輔は、
五卿の渡海を止める事は出来ず、
元治2年(慶応元年)1月14日に、
五卿は筑前に向かいました。

元治2年1月14日続きを読む

福岡県宗像市 赤間宿跡

赤間宿唐津街道の宿場町。
神武天皇がこの地を通行した際、
道に迷って困っていると、
赤い馬に乗った老人が現れて、
一行の道案内をしたという。
赤間(赤馬)の地名はこれに由来します。


現地案内板。
唐津街道には案内板が設置されており、
これが意外に便利だったりします。

東口から散策。

東構口跡」。
JR教育大前駅にある… 続きを読む

山口県美祢市 伊佐市跡

伊佐市は藩内の主要街道から外れていましたが、
売薬業が盛んに行われて栄えていたようで、
幕末期には32軒もの売薬業者が軒を連ね、
その商圏は山陰北九州をメインとした他、
関東北陸にまで及んでいたようです。
その起源は桜山の修験者に勤仕していた者が、
江戸時代に入って売薬業を始めた事からとされ、
「… 続きを読む