公卿」タグアーカイブ

山口県萩市 弘誓寺跡/澤宣嘉潜伏地

文久3年の生野の変に敗れた澤宣嘉は、
田岡俊三郎森源蔵高橋甲太郎と脱出。
追手から逃れる為に讃岐伊予に潜伏し、
その後に長州に渡りました。
長州では阿武郡… 続きを読む

下関市綾羅木 中山神社/中山忠光墓所

中山神社境内にある中山忠光の墓所。
中山忠光は北浦での逃避行の後、
田耕にある長瀬の渓谷で殺害され、
綾羅木に運ばれて埋められました。
埋葬地には後に墓碑が建てられ、
その霊を慰める為に中山神社が建立。
現在に至っています。


藤原忠光卿 神靈」。… 続きを読む

東京都文京区 麟祥院/嵯峨実愛墓所

麟祥院にある嵯峨実愛の墓所。
幕末期には正親町三条実愛と称し、
薩摩藩に近い立場の公卿でした。


従一位勲一等嵯峨實愛墓(中央)」、
正二位訓二等侯爵嵯峨公勝之墓(右)」、
嵯峨三郎麿之墓(左)」。
正親町三条家続きを読む

勅使を迎える奇兵隊士達

攘夷を決行した長州藩に対し、
朝廷は激励の為に勅使正親町公董を派遣。
文久3年7月16日に勅使は下関に到着し、
白石正一郎邸に入ります。
宿陣の幹部らは白石邸に参謁し、
朝廷の激励の言葉を賜りました。

翌日勅使一行は各砲台を視察。
迎砲の発射、西洋銃陣や射的、
槍や剣の試合の披露も行います。
勅使正親町公董はこれに満足し、
その日の宿所長府へ向かいました。… 続きを読む

五卿の筑前行

第一次長州征伐の降伏条件として、
五卿領外移転が決定。
五卿は筑前へ移転する事となります。
長州藩大田絵堂の戦いの最中でしたが、
下関で留守を守る諸隊と伊藤俊輔は、
五卿の渡海を止める事は出来ず、
元治2年(慶応元年)1月14日に、
五卿は筑前に向かいました。

元治2年1月14日続きを読む