高林寺にある天童藩織田家の墓所。
織田信長の次男織田信雄は、
隠居する際に小幡領2万石と、
宇陀領3万石の所領のうち、
小幡領を四男織田信良に相続させます。
こうして2万石で小幡藩が立藩しますが、
信雄は死ぬまで宇陀3万石を手放さず、… 続きを読む
「天童藩」タグアーカイブ
熊本県八代市 織田信長供養塔
松井神社境内の北側は八代市立第一中学校。
織田信長の菩提所泰巌寺があった場所で、
明治期に廃寺となっていますが、
信長の供養塔が残されています。
「織田信長の五輪塔」。
第一中学校の敷地内ですが、
訪問時は先生達が校門を掃除しており、
先生に案内して頂きました。
忠興の妻ガラシャは明智光秀… 続きを読む
福井県丹生郡 劔神社/織田一族発祥地
福井県丹生郡に織田という地名があります。
ここがかつての越前国織田荘で、
織田一族の発祥の地とされています。
織田氏は平資盛の庶子平親真を祖とし、
織田荘の荘官か劔神社の神官だったとされ、… 続きを読む
山形県天童市 吉田大八関連史跡
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吉田大八守隆は江戸家老吉田守寛の長男で、
15歳で家督を継ぎ、大目付、武具奉行、
藩校養正館督学等の要職を経て中老に昇格。
天童藩は慢性的財政難に苦しんでおり、
藩士は貧窮にあえいでいたという。
大八は救済策として将棋駒の製作を提案。… 続きを読む
山形県天童市 天童陣屋跡
織田信長は本能寺の変で明智光秀に討たれ、
嫡男織田信忠も二条城で自刃します。
光秀は羽柴秀吉に討たれますが、
織田宗家の家督は清須会議で話し合われ、
秀吉の推す信忠の嫡男三法師… 続きを読む