奇兵隊」タグアーカイブ

下関市吉田 東行庵/脱走隊士の墓

奇兵隊顕彰墓地にある脱走隊士の墓碑。
慶応2年4月17日。
倉敷浅尾騒動に加わろうと陣営を脱走し、
捕らえられて翌日切腹させられた隊士ら。


波多野十吉墓(左)」、
山本龍之進墓(左2)」、
有田恒太郎墓(右)」。
※右から2番目は不明。
倉敷浅尾騒動は第二奇兵隊脱走隊士らが、
倉敷代官所続きを読む

下関市吉田 東行庵/奈良屋源兵衛の墓

奇兵隊顕彰墓地にある奈良屋源兵衛の墓碑。
白石正一郎に雇われて人夫をしていた者で、
奇兵隊の用人も務めていました。
教法寺事件の報を聞いて駆け付けた途中、
南部町先鋒隊と鉢合わせてしまい、
奇兵隊印の半被をしていた為に捕らえて、
拉致され冷水を頭からかけられという。… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/白石廉作の墓

奇兵隊顕彰墓地にある白石廉作の墓碑。
白石廉作は白石正一郎の弟(六男)で、
恒遠醒窓の漢学私塾蔵春園に学び、
文を能くし筆札に巧みであったという。
兄を手伝って薩摩藩等との貿易に奔走し、
その過程で尊攘志士らと親交したようで、
奇兵隊が設立されると兄と共に入隊します。
平野国臣とは何度も会っており、… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/白石正一郎の墓

奇兵隊顕彰墓地にある白石正一郎の墓碑。
彼については何度も取り上げていますが、
竹崎の荷受問屋小倉屋の8代目。
熱心な神道信者であった白石は、
国学者鈴木重胤が下関立ち寄った際、
彼の教えを聞く機会を得ており、
弟子となって国学に傾倒したという。
家業についても精力的に取り組み、
多くの新規事業にも取り組んでいますが、
商敵からの妨害も多かったようです。… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/時山直八の墓

奇兵隊顕彰墓地にある時山直八の墓碑。

慶応4年5月13日。
奇兵隊参謀時山直八は二個中隊を率い、
奥羽越列藩同盟軍の陣地朝日山を攻撃。
しかし道案内が道を間違えた為に、
同盟軍陣地の真正面に出てしまい、
多くの犠牲者を出して後退しました。
時山は山麗で陣を立て直しますが、
運悪く敵の銃弾が顔面を捉えて即死。
混戦の為に首級続きを読む