寺田屋事件」タグアーカイブ

宮崎県日向市 黒田の家臣

細島港の先にある半島部分に、
古島という名の小さな島が浮かんでおり、
地元では黒田の家臣と呼ばれています。

文久2年にここで3人の遺体が見つかり、
その被害者1人の腹巻には、
 平生心事豈有他 赤心報國唯四字
 黒田家臣、海賀直求

と書かれていたという。
3人共に片方の手に麻縄が結われており、
嬲り殺しにされたと推測されました。


古島」。… 続きを読む

宮崎県日向市 富高代官所陣屋跡

九州の幕府天領の多くは、
西国筋郡代によって支配されていましたが、
その広大な支配地域を管轄する為には、
出張代官所を設ける必要がありました。

豊前国に四日市代官所陣屋
天草に天草代官所富岡陣屋
そして日向国には富高代官所が置かれます。


日向市役所」。… 続きを読む

京都府京都市 伏見奉行所跡

伏見奉行所跡を訪問しようと、
JR京都駅から電車で向かいます。
複数の電鉄が通っていますので、
どれで行っても変わりないのですが、
とりあえず一番近い近鉄京都線に乗り、
桃山御稜前駅で下車しました。

伏見は平安期より別荘地として好まれ、
豊臣秀吉伏見桃山城を築いて以降は、… 続きを読む

田中河内介と怪談

但馬の医師小森正造の次男小森賢次郎は、
幼少から秀才として知られており、
武芸にも秀でていました。



天保6年に儒学者志して上京し、
天保11年に中山忠能に召抱えられます。
後に中山家の家臣田中近江介の養子となり、
田中河内介と改称。
中山家の庶務を取り仕切り、
中山忠愛続きを読む