赤間関宿があったのは現在の唐戸周辺ですが、
新地会所、白石正一郎の小倉屋など、
意外と重要な史跡が集まっている下関駅西側。
現在の感覚では不便な位置のようですが、
勿論当時は下関駅はありませんし、
彦島側に伸びる大和町もありませんでした。
下関駅周辺。青い線が当時の海岸線。… 続きを読む
「小倉戦争」タグアーカイブ
福岡県北九州市 大里宿跡
大里宿は細川家小倉藩初代藩主細川忠興が、
本州の渡航に最適であると設置した宿場。
当時は本州への渡航は小倉で行われた為、
城下に大名行列が集中していましたが、
これを嫌う藩により大里宿が開かれてると、
大名達は大里宿で渡航するようになり、
江戸時代中期以降は約8割の大名が、
大里宿から渡航するようになります。
「長崎街道 … 続きを読む
福岡県京都郡 島村志津摩終焉の地
「島村志津摩は隠居後に京都で死去した」。
昔、これを何かの本でナナメ読みして、
島村志津摩は維新後に京都府に移住し、
そこで死去したとばかり思っていましたが、
これが勘違いで京都府や京都市ではなく、
京都違いの福岡県京都郡でした。
おバカな間違いでお恥ずかしい限りですが、
島村が隠棲したのは豊津藩領の二崎… 続きを読む
福岡県田川郡 碧巌寺/小笠原忠幹仮埋葬地
小笠原忠幹は小倉戦争直前で病死。
有事ということでその死は伏せられ、
忠幹の遺骸は密かに城内に埋められました。
後に熊本藩らの撤兵で孤立した小倉藩は、
小倉城を自焼させて城下から田川まで撤退。
香春を仮藩庁としました。
未だ長州藩と交戦状態にある小倉藩は、
落城した小倉城より忠幹の遺骸を掘り返し、
安全な場所への埋葬を計画。… 続きを読む
福岡県田川郡 金辺峠(再訪)
小倉と秋月を結ぶ香春街道の要衝金辺峠。
小倉藩は本拠地である小倉城を自焼させ、
金辺峠を最後の砦として抵抗しており、
峠には島村志津摩の碑が建てられています。
この金辺峠には6年前に訪問済みですが、
当時の写真がボケてて酷いものたったので、… 続きを読む