大館城を落とした盛岡藩勢は、
羽州街道を南下して小繋まで進軍。
久保田藩勢は荷上場まで後退し、
米代川を挟んで両軍が睨み合いました。
やがて新政府軍の援軍として佐賀藩及び、
小城藩… 続きを読む
「小城藩」タグアーカイブ
佐賀県小城市 牛津宿跡
牛津宿は長崎街道の13番目の宿場。
米や物資が牛津川の水運で集められ、
水運業者、荷受問屋、卸問屋等が軒を連ね、
西の浪花と称された程栄えていたという。
小城市牛津周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが牛津宿跡。
西側より散策。
「野田家跡… 続きを読む
佐賀県小城市 玉毫寺/小城藩鍋島家墓所
玉毫寺は小城藩3代鍋島元武の菩提寺で、
その死後に創建された黄檗宗の寺院ですが、
開山は本人の元武となっています。
元武は2代鍋島直能の次男として生まれ、
嗣子に指名されていましたが、
17歳で疱瘡を患って顔にあばたが残り、
人前に出るのを恥じるようになりました。… 続きを読む
佐賀県小城市 星巌寺/小城藩鍋島家墓所
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小城鍋島家の墓所は星巖寺。
境内にある五百羅漢が有名な寺院でした。
「星巖寺 楼門」。
別名龍宮門とも呼ばれるように、
龍宮城のような外観をしています。
嘉永5年に竣工したもので、
外見は中華風ですが造りは木造の和風様式。
小城藩が長崎警護… 続きを読む
佐賀県小城市 小城陣屋跡
小城藩は佐賀(肥後)藩の支藩。
初代佐賀藩主鍋島勝茂の長男鍋島元茂が、
初代藩主として立藩しまています。
元茂は勝茂の嫡子でしたが、
勝茂の後妻が徳川家康の養女であった為、
その後妻の子鍋島忠直が継嗣となり、… 続きを読む