生野の変」タグアーカイブ

山口県萩市 弘誓寺跡/澤宣嘉潜伏地

文久3年の生野の変に敗れた澤宣嘉は、
田岡俊三郎森源蔵高橋甲太郎と脱出。
追手から逃れる為に讃岐伊予に潜伏し、
その後に長州に渡りました。
長州では阿武郡… 続きを読む

下関市井田 下関市中央霊園/白石廉太郎墓

下関中央霊園白石家之墓の傍らに、
白石廉太郎なる人物の墓石があります。


白石廉太郎墓」。
廉太郎という名が気になり調べてみると、
なんと白石廉作の忘れ形見でした。
廉作は白石正一郎の末弟で、
兄の影響からか尊攘運動に参加し、
奇兵隊続きを読む

下関市吉田 東行庵/白石廉作の墓

奇兵隊顕彰墓地にある白石廉作の墓碑。
白石廉作は白石正一郎の弟(六男)で、
恒遠醒窓の漢学私塾蔵春園に学び、
文を能くし筆札に巧みであったという。
兄を手伝って薩摩藩等との貿易に奔走し、
その過程で尊攘志士らと親交したようで、
奇兵隊が設立されると兄と共に入隊します。
平野国臣とは何度も会っており、… 続きを読む

兵庫県朝来市 延応寺

延応寺は生野にある真言宗の寺院です。
弘法大師が各地を巡錫する途中、
生野高原にある達磨ヶ峰に堂を建て、
自ら彫った千手観音を安置。
後の延応元年(1239)にその堂が炎上し、
その中から千手観音が舞い上がり、
ケヤキの巨木の梢にとまって、
毎夜光を発したという。
これを諸国行脚中の長遍上人が見て、… 続きを読む

兵庫県朝来市 生野奉行所跡

生野代官所天領生野にあった代官所で、
但馬国播磨国美作国の天領支配の他、
生野銀山の管理を行っていました。

生野銀山は大同2年(807)の開坑とされ、
天文11年(1542)に守護大名山名祐豊により、
本格的な採掘が始められたという。
後に織田信長、… 続きを読む