豊津藩」タグアーカイブ

福岡県京都郡 小笠原神社/豊津陣屋跡

城を自焼し香春に移った小倉藩でしたが、
藩庁が御茶屋では色々と不便ということで、
明治2年12月に豊津に移ります。

9代小笠原忠幹は慶応元年9月に死去。
国内が不穏な状況であった為、
忠幹の死は秘匿され続けましたが、
小倉戦争終結後の慶応3年になり、
ようやく幕府続きを読む

福岡県京都郡 甲塚墓地/秋月士族の墓

明治9年に起こった秋月の乱は、
熊本で起こった神風連の乱に呼応し、
旧秋月藩士の秋月党が挙兵した反乱。
秋月党は旧豊津藩士杉生十郎らと同時に、
決起を画策していたようで、
豊津へ向い同志と合流しようとします。

ところが旧豊津藩士らは挙兵を断念し、
杉生十郎ら挙兵派を監禁していました。
秋月党は彼らに改めて決起を促しますが、
旧豊津藩士らは小倉鎮台に連絡しており、… 続きを読む

福岡県京都郡 甲塚墓地/郡長正の墓

萱野権兵衛会津戦争の責任で自刃。
萱野自刃後に萱野家の家名は断絶し、
家族は祖先の使った姓を名乗ってます。
会津藩は斗南に転封となり斗南藩を立藩。
極寒の過酷な状況の中で藩を運営しました。
幕長戦争で長州藩と戦った小倉藩は、
小倉城を自焼することになり、
御茶屋を藩庁として香春藩続きを読む