豪商・豪農・侠客」タグアーカイブ

下関市南部町 綿屋弥兵衛宅跡

禁門の変で直接戦火を交えた薩長両藩
この両藩を和睦させる為に、
筑前勤皇党(福岡藩)の月形洗蔵らや、
土佐脱藩の坂本龍馬中岡慎太郎が奔走し、
桂小五郎西郷隆盛の直接会談の場が、
赤間関で設けられることになります。… 続きを読む

下関市赤間町 奈良屋入江和作邸跡

酢の醸造を生業とした奈良屋は、
赤間関西ノ端(田中川の東側)にありました。
その店の当主入江和作大年寄も務め、
赤間関に来訪する志士らを支援し、
特に高杉晋作を金銭面で支えています。
功山寺挙兵の際には軍資金を提供し、
四国亡命の際も逃亡資金を用意しました。


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大分県別府市 永井亀吉墓所

井上聞多別府での潜伏中、
侠客永井亀吉(灘亀)の子分となっています。
亀吉は豊前国長洲の漁師の息子で、
15歳で無頼の相撲取りを殺してから、
次第に賭博等の悪さを覚え、
更に侠客叉々村の喜三郎を喧嘩で殺害。
双方の殺人は正当防衛だったようですが、
2人も人を殺した為に地元には住めず、
別府に流れてきて… 続きを読む

大分県別府市 旅館若彦跡

元治元年9月25日。
井上聞多山口政事堂からの帰路に、
湯田温泉袖解橋付近で刺客に襲われ、
瀕死の重傷を負いました。
一命を取り留めた井上は翌年、
外国人御用掛に任命されていますが、
下関開港に反発する攘夷派に狙われ、
別府へ湯治を兼ねて逃亡しています。


旅館若彦跡(ソルパセオ銀座入口辺り)」。
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下関市長府 法華寺/大庭伝七墓所

法華寺は長府金屋町にある法華宗寺院。
その起源は国分尼寺であるとされ、
元和元年(1615)に現在地に移転しています。
初代藩主毛利秀元の側室正福院の両親が、
この寺に篤く帰依していた事から、
毛利家より寺田を賜り諦玄寺と称しました。
※明治3年に法華寺と改称。


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