長府藩」タグアーカイブ

下関市岬之町 三百目橋跡

下関市岬之町観音崎町の間に、
北へと延びる通りがあります。
この通りは通称三百目通りと呼ばれ、
江戸期は谷川が流れていたという。
現在は地下河川となっているようで、
川の上に道路が出来ていますが、
江戸期はこの道が川でした。

この川の為に東西の行き来が不便だった為、
油屋仁左衛という商人が橋の建設を願い、
長府藩に… 続きを読む

下関市彦島 弟子待砲台跡

海軍山と呼ばれていた彦島南公園
その公園から海岸へ下りると、
2つの遺跡が残っています。


水雷発射基地突堤」。
日露戦争の際に露軍バルチック艦隊が、
関門海峡を通過した際に迎え撃つ為、
建造された水雷発射基地突堤。… 続きを読む

下関市長府 功山寺/小田南陔墓所

功山寺境内の旧長門尊攘堂への石段脇に、
儒学者小田南陔らの墓があります。


済川先生墓(右)」「南陔先生墓(右2)」、
嶽陽先生墓(左2)」、
嶺雲院清菴常涼居士(左)」。
小田亨叔(済川)の墓、小田南陔(圭)の墓、… 続きを読む

下関市南部町 赤間関在番役所址

下関市役所の裏手(西側)に、
赤間関在番役所址の碑があります。


赤間関在番役所址」。
赤間関在番所長府藩の設置した施設で、
赤間関の行政を担った機関でした。
在番役は定員1名だったようで、
足軽を率いて市街を警備を行い、
市政の庶務全般を掌握していたようです。
赴任は単身で行われたようで、
御役御免となるまで帰る事は許されず、
その権勢は非常に大きかったようで、
赴任の際は… 続きを読む

下関市赤間町 稲荷町 裏町遊郭跡

下関は壇之浦の戦いのあった地で、
栄華をほこった平家が滅び、
一緒に京から落ち延びた高級女官らが、
平家が滅んだ後に数多く残されました。
宮中で暮らしていたこれら女官達は、
この地で生きる術を持たず、
春を売るより他はありません。
そんな彼女らが春を売ったのが稲荷町で、
彼女らは漁師相手の遊女続きを読む