隠れキリシタン」タグアーカイブ

長崎県平戸市 春日集落

春日集落平戸島西岸の小さな集落。
現在の人口は約70人程ののようで、
ポルトガル貿易を推進する松浦家の家老が、
集落ごとキリシタン改宗させた事に始まり、
その後に禁教となってからも、
領民は密かに信仰を守り続けていました。
維新後にキリスト教は解禁となりますが、
住民はカトリックには改修せず、… 続きを読む

佐賀県佐賀市 大雲寺/村田家墓所

大雲寺龍泰寺末寺の曹洞宗寺院。
宝永6年(1709)3代当主村田政辰が、
※当時は村田政種と称していた。
龍造寺政家の菩薩を弔う為に創建し、
龍泰寺14世治節和尚を迎え開山。
以後は村田家当主の菩提寺となりました。


本堂続きを読む

長崎県長崎市 日本二十六聖人殉教地

豊臣秀吉織田信長の政策を継承し、
キリスト教の布教を容認しており、
イエズス会に布教の許可を与えていましたが、
天台宗の僧で医師の施薬院全宗の進言を受け、
バテレン追放令を発布しました。
しかし秀吉は積極的に追放は行わず、
貿易の為に継続してイエズス会を利用。
イエズス会も大々的な布教活動は控え、
ささやかな布教に終始した為。
追放はされる事無く布教も黙任され、
時には支援も行われたようです。… 続きを読む

長崎県南島原市 原城跡

吉田松陰九州遊学の際、
原城跡を訪問しています。
原城は島原の乱の籠城戦が行われた城で、
両軍で4万の死者を出す激戦が行われ、
一揆勢の皆殺しで終結した戦いでした。
山鹿流兵学師範であった松陰は、
古戦場を見学する事で、
自らの兵学の糧にしたのでしょう。

島原天草の乱は江戸時代初期の反乱で、
キリシタン弾圧に起因した一揆で、
幕末以前で最後の本格的な内戦でした。
島原藩主松倉勝家続きを読む

長崎県東彼杵郡 彼杵宿跡

彼杵宿長崎街道の宿場町で、
嬉野宿との間には難所俵坂峠が控えており、
佐賀藩領と大村藩領の藩境。
平戸往還との追分でもあった他、
彼杵湊からの海路も整っていた事から、
大変に栄えた宿場町でした。… 続きを読む