ペリー艦隊」タグアーカイブ

ペリーに相撲を披露する

嘉永7年。
ペリー艦隊の2度目の来航の際、
幕府はペリーや艦隊水兵らに、
相撲を披露することになります。

力自慢の力士達30人が、
艦隊への進物米200俵を運び、
米俵を軽々と持ち上げる力士達に、
水兵らは唖然としたとか。
幕府が力士達を動員したのは、
ペリーへの牽制の意味もあったらしい。
土俵入りや稽古相撲も行ったようで、
迫力ある相撲のぶつかりに、
彼らは驚いた事でしょうが、
ペリーはあまり気に入らなかったようで、
芝居がかっている」… 続きを読む

静岡県下田市 下田湊⑤/玉泉寺(日本初の米国領事館)

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玉泉寺は日本で最初の米国領事館
下田条約により玉泉寺は米国人の休息所
そして埋葬所に指定されます。… 続きを読む

静岡県下田市 下田湊③/ハリスの小路と松陰上陸の碑

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初代駐日弁理公使タウンゼント・ハリスが、
下田赴任中に散歩したとして、
ハリスの小路と名付けられた道があります。
通商条約締結交渉中に胃潰瘍を患い、… 続きを読む

静岡県下田市 下田湊②/松陰の密航計画

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嘉永7年(1854年)3月28日。
吉田松陰と弟子の金子重輔は、
ペリー艦隊への密航を企てようとしますが、
渡航を拒絶されて失敗に終わります。
前年にも長崎でロシア艦への密航を計画し、… 続きを読む

静岡県下田市 下田湊①/ペリー上陸と下田条約

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嘉永6年、ペリー艦隊浦賀に来航し、
幕府側に開国を求めます。
幕府は回答に1年の猶予を要求し、
ペリー艦隊は1年後にまた来ると告げて、
日本を後にしました。
1年の猶予の約束でしたが、… 続きを読む