伊藤博文」タグアーカイブ

山口県宇部市 船木宰判勘場跡/御茶屋跡

長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。

初期の宰判は厚東郡吉見に置かれましたが、
御茶屋の移設に伴い宰判も船木に移動し、
宰判勘場と御茶屋が併設されました。… 続きを読む

神奈川県横浜市 明治憲法起草之地

明治憲法の正式な名称は大日本帝國憲法
明治22年2月11日に公布され、
明治23年11月29日に施行。
戦争に敗れ日本国憲法に改正されるまで、
日本の根本規範とされていました。

その明治憲法草案の構想が練られた場所が、
横浜市の金沢にあります。

明治憲法起草之處」碑。
明治20年に伊藤博文伊東巳代治、… 続きを読む

神奈川県横浜市 料亭富貴楼跡

今も昔も強いなと思う女性は存在します。
不幸な身の上をものともせず、
力強くのし上がっていく。
大阪北新地クラブでバイトしていた際、
そのような女性を何人か見ています。

富貴楼お倉もそのような女性で、
6歳で家族が離散してしまい、
新宿品川吉原などで芸者として働き、
明治に入ってからは自分の置屋を開いて、
天下の糸平続きを読む

山口県光市 伊藤博文記念公園

伊藤博文は熊毛郡の百姓林十蔵の長男で、
出稼ぎで萩に住む父に呼ばれて萩に移住。
その父が中間水井武兵衛の養子となり、
武兵衛が足軽伊藤家の養子となった為、
十蔵、利助(博文の幼名)も足軽となります。
百姓として生まれ、父が中間に養子に入り、
養祖父が足軽に養子に入るという展開。
百姓から頂点へのサクセスストーリーは、
戦国時代の豊臣秀吉と同じですが、… 続きを読む

下関市豊北町 肥中湊

肥中港特牛港の北側の湾にある港で、
小さな漁村といった雰囲気の港です。


豊北町大字神田肥中(肥中港の場所)

この小湊が歴史上重要な場所であった事は、
一般にはあまり知られていません。
大内氏時代より朝鮮貿易の為に整備され、
鎖国後も密貿易の拠点であったとされます。
北浦の隠れた場所でありながら、
肥中街道により山口にも結ばれており、
輸送にも大変優れた場所でもありました。… 続きを読む