勝海舟」タグアーカイブ

熊本県天草郡 天草代官所跡②

つづき。
/②

富岡城二の丸駐車場より坂を登ると、
二ノ丸跡の石垣が見えてきます。

二ノ丸石垣」。
富岡城は大きな城ではありませんが、
天草四郎の一揆勢の猛攻に耐えています。


石垣が不規則で珍しいなと思ったら、
これは3重の石垣を残して再現されたもの。
1番奥が唐津藩時代のもので、
一揆勢の攻城の痕跡が残る石垣。
2番目がその石垣を隠す為の… 続きを読む

熊本県天草郡 天草代官所跡①

①/

島原天草の乱江戸時代の最大の内戦で、
島原藩領及び唐津藩飛地の天草領の領民が、
過酷な年貢徴収キリシタン迫害を受けて、
両藩に対して起こした一揆反乱でした。

島原と天草の両領民達は、… 続きを読む

長崎県島原市 龍馬上陸の地

元治元年2月。
四国連合艦隊下関攻撃を決定した為、
外国側と交渉してこれを回避するべく、
幕府より調停役を命じられた勝海舟は、
総勢47名の大所帯で長崎に向かいます。
この一行に坂本龍馬ら勝の門弟も同行し、
龍馬は初めて長崎を訪れる事になりました。

2月14日に一行は翔鶴丸続きを読む

大分県大分市 佐賀関/海舟龍馬宿泊地

長州藩の攘夷決行に対抗する為、
四ヶ国艦隊は下関への攻撃を決定しますが、
勝海舟はこれを制止する為に長崎へ向かい、
これに坂本龍馬も同行しています。

神戸から第二長崎丸に乗り込んだ一行は、
文久4年2月15日に佐賀関に到着。
そこから陸路を長崎に向かいました。
佐賀関は熊本藩飛地で四国の玄関口であり、
当時は大変な賑わいであったとされます。
幕府の使節として上陸した勝ら一行は、… 続きを読む

長崎県長崎市 長崎奉行所西役所跡

本博多町に設置されていた長崎奉行所は、
寛文3年(1663)の大火で焼失した為、
東役所西役所の2つに分けられています。
その後に東役所は立山に移転し、
本博多町には西役所のみが残され、
立山役所と西役所で運営されました。

西役所のあった場所は現在の長崎県庁。… 続きを読む