現在の山陽小野田市の厚狭周辺は、
一門家老厚狭毛利家の知行地で、
現在は田舎ながら新幹線の駅もあります。
厚狭毛利家の幕末の当主毛利元美は、
下関攘夷戦時の赤間関海防総奉行でしたが、
外国船への砲撃を躊躇って解任されており、… 続きを読む
現在の山陽小野田市の厚狭周辺は、
一門家老厚狭毛利家の知行地で、
現在は田舎ながら新幹線の駅もあります。
厚狭毛利家の幕末の当主毛利元美は、
下関攘夷戦時の赤間関海防総奉行でしたが、
外国船への砲撃を躊躇って解任されており、… 続きを読む
厚狭毛利家は毛利元就の五男毛利元秋が、
厚狭周辺を与えられたのに始まります。
洞玄寺はその厚狭毛利家の菩提寺で、
本堂裏手には厚狭毛利家の墓所があります。
洞玄寺山門。
幕末期の洞玄寺住職実音和尚は、
奇兵隊反乱に加担した指導者の一人で、
反乱軍が鎮圧されると行方をくらました為、
洞玄寺は一時廃寺になりかけたという。
「… 続きを読む