大村藩」タグアーカイブ

長崎県大村市 松原宿跡

松原宿長崎街道の19番目の宿場町。
彼杵宿大村宿に挟まれていた為、
規模の小さな宿場であったようで、
本陣脇本陣は指定されてはおらず、
大名行列長崎奉行の一行は、
休憩のみに立ち寄っていたようです。


大村市松原本町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが松原宿跡。… 続きを読む

長崎県大村市 大村宿跡

大村宿長崎街道の20番目の宿場で、
玖島城城下の北側に置かれていました。


大村市本町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが大村宿跡。


大村宿跡」。
大村宿の中心の本町アーケード街
立派なアーケードですが中は閑散として、
シャッター商店街となってる模様です。
時代なので仕方ありませんが、… 続きを読む

長崎県大村市 大村護國神社

大村藩4代藩主大村純長は、
徳川家歴代将軍を祀る神社として、
円融寺という天台宗の寺院を創建。
この寺が幕末に廃寺となって、
戊辰戦争戦没者を祀る招魂社が建てられ、
後に大村護國神社と改めました。… 続きを読む

長崎県東彼杵郡 彼杵宿跡

彼杵宿長崎街道の宿場町で、
嬉野宿との間には難所俵坂峠が控えており、
佐賀藩領と大村藩領の藩境。
平戸往還との追分でもあった他、
彼杵湊からの海路も整っていた事から、
大変に栄えた宿場町でした。… 続きを読む

長崎県大村市 本経寺/大村藩大村家墓所②

/②

つづき。


寛長院殿前筑刕太守徳山日廣大居士」。
5代藩主大村純伊の墓。
4代大村純長の次男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
治世では凶作や捕鯨の不振が重なり、
藩財政が逼迫していた為、
新田開発や年貢の増徴を行ったり、
家臣団をリストラしたりしていますが、
幕府普請などで好転することはなく、… 続きを読む