益田親施」タグアーカイブ

山口県萩市 育英館跡

須佐の郷校である育英館は、
益田家27代当主益田元道が開いた郷校。
益田家家臣の子弟教育の為の学校でした。

益田家33当主益田親施は、
吉田松陰から山鹿流兵学を学んでおり、
その縁で松下村塾との交流があったようで、
双方で… 続きを読む

山口県萩市 益田家墓所②

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つづき。


雄嶽院殿快翁全活大居士塔」。
29代(11代)当主益田就祥の墓。
28代益田広尭の嫡男として生まれ、
父の死去により家督を相続。
美濃伊勢の河川普請総奉行を務め、
笠松代官所に出向しました。
逼迫する藩の財政の打開策として、
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山口県萩市 益田家墓所①

益田家は長州藩の永代家老家で、
長州領北東端須佐を所領としていました。
益田家は鎌倉時代より、
現在の島根県益田市を本拠としていますが、
関ヶ原の戦いで主家が減封した為、
代々統治した所領を手放しています。
益田の隣須佐が所領とされたのは、
益田を取り戻すつもりだったのか?
それとも単なる偶然?… 続きを読む

山口県萩市 須佐歴史民俗資料館

須佐は長州藩永代家老益田家の所領。
益田家は現在の島根県益田市を所領とし、
代々統治していましたが、
関が原の戦いで毛利家が減封された際、
益田氏も須佐に転封となりました。
須佐の地名は文字通り、
スサノオノミコトと関係深いようですが、
神話の話なのでよくわかりませんが、
益田氏が治めるようになってからは、
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