小松藩の参政であった竹鼻正脩は、
7代藩主一柳頼親に藩校設立を進言し、
これが認められて藩校養正館が設立されます。
竹鼻は川之江の儒者近藤篤山を教授に迎え、
藩校を幕府の学問所昌平黌に倣って整備。
藩士子弟のみならず庶民にも門戸を開き、
藩内外に人材を輩出しました。… 続きを読む
愛媛県西条市 近藤篤山関連史跡
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小松藩の参政であった竹鼻正脩は、
7代藩主一柳頼親に藩校設立を進言し、
これが認められて藩校養正館が設立されます。
竹鼻は川之江の儒者近藤篤山を教授に迎え、
藩校を幕府の学問所昌平黌に倣って整備。
藩士子弟のみならず庶民にも門戸を開き、
藩内外に人材を輩出しました。… 続きを読む
佐倉訪問で最後に訪れたのは「佐倉順天堂記念館」。
その名のとおり佐倉順天堂の一部が保存され、
当時の医学書や医療器具などが展示されています。
「佐倉順天堂記念館」。
開業当時は成田街道の道路向かいにありましたが、
安政5年にここに移転し、その後拡充されました。
現在残る建物は診療棟の一部にあたります。
「佐藤泰然先生」胸像。… 続きを読む
越前勝山藩の藩医であった秦魯斎は、
藩主小笠原長貴や世子長守の病を治し、
藩主及び藩内で絶大な信頼を得ていました。
越前勝山藩に諸藩のような藩校が無いのを憂い、
家老の林毛川が藩政改革に乗り出すと、
人材育成が藩には不可欠であると毛川に進言。
自分の所蔵の書籍と数百両の金を献じて、
越前勝山城三之丸に藩校読書堂… 続きを読む