島義勇は佐賀七賢人のひとりで、
北海道開拓の父とも称される人物。
佐賀士族を見下す岩村高俊に激怒し、
江藤新平と共に佐賀の乱を起し、
これに敗れて処刑されています。
「来迎寺」。
鎌倉幕府5代執権北条時頼… 続きを読む
「佐賀七賢人」タグアーカイブ
佐賀県鳥栖市 轟木宿跡
轟木宿は長崎街道の佐賀藩領東端の宿場町。
対馬藩領と轟木川を境にして分かれており、
140軒程で宿屋や茶屋が多かったという。
鳥栖市轟木町周辺。緑の線が長崎街道。
青でぼかした辺りが轟木宿跡。
東側より散策。
「境橋」。
轟木川に架かる橋で渡ると佐賀藩領。
現在はRC製… 続きを読む
佐賀県佐賀市 高傳寺/枝吉副島兄弟の墓
高傳寺には龍造寺家、鍋島家墓所の他、
佐賀七賢人のひとり副島種臣と、
その兄の枝吉神陽の墓があります。
「枝吉家墓所」。
枝吉家は代々槍術師範を務める家柄で、
足軽頭の身分であったとされますが、
2人の父枝吉南濠… 続きを読む
佐賀県佐賀市 鍋島家春日御墓所
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佐賀藩10代藩主鍋島直正(閑叟)は、
文化11年に江戸桜田藩邸で生まれ、
明治4年に同じく桜田藩邸で死去し、
亡骸は麻布の賢宗寺に葬られました。
この春日山には遺髪納められていましたが、
平成11年に遺骨が賢宗寺より改葬され、
最後の藩主11代藩主鍋島直大… 続きを読む
佐賀県佐賀市 大隈記念館及び龍泰寺
佐賀県出身の総理大臣は大隈重信のみです。
薩長土肥の一角を担った割には、
少々残念な気もしますが、
山口県の8人が非常に多いだけで、
鹿児島県は3人、高知県も2人と、
意外に薩土肥は少なかったりします。
そのことから田布施システムという妄想が、
未だにネット上に書かれているのでしょう。… 続きを読む