加藤家」タグアーカイブ

愛媛県大洲市 如法寺/大洲藩加藤家墓所

如法寺は大洲市にある臨済宗妙心寺派の寺院。
大洲藩2代藩主加藤泰興によって再建され、
大洲藩加藤家の菩提寺となりました。
元々如法寺は喜多郡領主宇都宮氏が創建し、
その後に廃寺となっていたようです。


仏殿」。
寛文10年(1670)建立の仏殿続きを読む

愛媛県大洲市 曹渓院/大洲藩加藤家墓所

曹渓院は大洲市の臨済宗妙心寺派寺院。
初代藩主加藤貞泰により、
加藤光泰の菩提を弔う為に、
美濃国黒野に創建した寺院でしたが、
大洲藩移封に伴い現地に移っています。


曹渓院」。
ここに加藤光泰の霊廟の他、
初代、6代、8代、10代、11代、… 続きを読む

佐賀県多久市 圓通寺/多久家墓所

圓通寺鎌倉時代初期の創建で、
多久家初代多久太郎宗直が開基。
寺領千石を有して末寺140を数えましたが、
その後に衰微していたようです。
慶長2年(1597)に龍造寺長信が再興し、
その庇護を受けて再度隆盛しており、
多久家の菩提寺となりました。
※長信の子龍造寺安順が多久姓を名乗り、
 佐賀藩御親類同格
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福岡県福岡市 節信寺/加藤司書墓所

福岡藩の尊攘派家老加藤司書は、
有事の際の藩主避難所の建設を提案。
福岡藩主黒田長溥もこれを承諾して、
犬鳴御別館の建設が開始されます。
しかしこれは尊攘派が実権を握る為、
長溥を幽閉する施設であるとして、
藩内佐幕派が注進した為に長溥は激怒。
乙丑の獄が発生して尊攘派は捕縛され、
首領格の司書や月形洗蔵を始め、
関係者140名以上が捕縛された末、
司書は… 続きを読む

愛媛県大洲市 加藤泰儔墓所

新谷藩7代藩主加藤泰儔の墓所は、
新谷小学校(新谷陣屋跡)裏手の楓山


新谷小学校の東脇の道を進むと、
大久保川鉄板橋が架けられており、
渡った先に説明板が設置されています。

山道を少し登ると墓所に到着

従五位下加藤誠翁
 前山城守藤原泰儔墓
(右)」、
「… 続きを読む