島原藩」タグアーカイブ

長崎県南島原市 原城跡

吉田松陰九州遊学の際、
原城跡を訪問しています。
原城は島原の乱の籠城戦が行われた城で、
両軍で4万の死者を出す激戦が行われ、
一揆勢の皆殺しで終結した戦いでした。
山鹿流兵学師範であった松陰は、
古戦場を見学する事で、
自らの兵学の糧にしたのでしょう。

島原天草の乱は江戸時代初期の反乱で、
キリシタン弾圧に起因した一揆で、
幕末以前で最後の本格的な内戦でした。
島原藩主松倉勝家続きを読む

長崎県島原市 本光寺/島原藩松平家墓所

本光寺島原藩深溝松平家の領内菩提寺。
初代当主松平忠定は深溝に本光寺を創建し、
深溝松平家の菩提寺としましたが、
転封によって所領は数度変わっており、
歴代藩主の遺骸は所領や江戸から運ばれ、
深溝に本光寺に埋葬されました。

深溝松平家が島原藩に移封後、
初代藩主松平忠房が生母の菩提を弔う為、
当地にあった禅林寺を… 続きを読む

長崎県島原市 旧島原藩薬園跡

島原藩4代藩主松平忠誠は、
シーボルトの高弟賀来佐一郎を招き、
藩の医学校済衆館の敷地に、
薬園を整備させ薬草を栽培させました。
しかし手狭で栽培条件が良くなかった為、
弘化3年に飯島義角を薬園主任として、
眉山の麓に大規模な薬園を造らせました。… 続きを読む

長崎県島原市 松陰来訪地と武家屋敷水路

吉田松陰は九州への遊学中、
島原城下に立ち寄っています。


吉田松陰来訪の地」。
島原藩士宮川度右衛門邸跡。
宮川は種子島流荻野派砲術師範で、
この辺りは鉄砲町と呼ばれたようですが、… 続きを読む

長崎県島原市 島原城②

/②

天草四郎率いるキリシタン一揆勢は、
幕府軍に皆殺しにされて島原の乱は終結。
乱の責任で島原藩松倉家は改易となり、
藩主松倉勝家斬首されることとなります。
江戸時代を通じて大名の斬首はこれだけで、
それ程の重大事件だったのでしょう。… 続きを読む