楫取素彦」タグアーカイブ

山口県萩市 東光寺/四大夫十一烈士墓所

東光寺大雄宝殿裏側奥は毛利家墓所で、
その手前には四家老の墓所と、
元治甲子殉難烈士の墓所があります。
彼らは元治元年の第一次長州征伐の際に、
藩内で主導権を握った俗論党により、
切腹したり斬首された藩士達でした。
これらは杉孫七郎続きを読む

幕末下関のフグ事情

下関市といえばフグですね。
とはいえ下関に住んでいますが、
毎日フグを食べてるわけではありません。
いくら本場といっても高級魚ですので、
そう簡単には食べれません。
とはいえ子フグのから揚げなどは、
スーパーで安く買えたりします。


下関市内のマンホール」。

このフグというお魚ですが、
猛毒を持っている事が知られており、… 続きを読む

長門市 桜楓山荘跡

明治期に県令など要職を歴任する楫取素彦(小田村伊之助)ですが、
主である毛利敬親が死去した際、一度隠居しています。
長門の山奥に家を建て、村人に植林開墾を指導して過ごしました。
その際に住んでいたのかこの桜楓山荘跡です。


住居があった場所を示す石碑続きを読む

萩市 円政寺

円政寺は大内氏の祈願寺で、今の山口市円政寺町にありました。
大内氏滅亡後も毛利氏から保護され、
毛利氏が萩へ築城すると同時にこの地に移転してきました。
境内に金比羅社があるためか、入り口には鳥居があります。


この寺の住職恵運伊藤博文の母親(林琴子)が従兄妹だということで、
伊藤(当時林利輔)はこの寺に一年半預けられていたそうです。


境内にはなにやらよくわかりませんが、竹に幕末長州の志士達が彫られています。
手作り感満載で、あまり字も上手くないのが残念です。


境内にある金比羅社の「大天狗面」。… 続きを読む

山口県萩市 楫取素彦旧宅/山田顕義誕生地

大河「花燃ゆ」で活躍中の小田村伊之助
維新後は楫取素彦と名前を改めています。
その楫取素彦の旧宅跡に行ってみました。


楫取素彦舊宅址」。
跡碑に足を掛けていますが、
若干1歳児ですのでお許しください。
時期は明らかではないそうですが、
ここに旧宅があった場所だそうです。
「時期が明らかではない」って、
大まかにもわからないのでしょうかね?
ここに寿と暮らしていたのか?
それとも文と暮らしていたのか?… 続きを読む