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下関市豊田町 舜青寺/浮石義民の墓

浮石村は長府藩筆頭家老である椙杜家領。
宝永5年(1708)の旱魃で被害を受け、
村民は減祖を役人に願い出ますが、
聞き入れられずに困窮に喘いでいました。

その翌年は天候に恵まれて豊作となり、
村民が喜んだのも束の間で、
役人は逆に年貢二割増を命じます。
村民はたまりかねて一揆を計画しますが、
庄屋らがこれをなだめて善後策を検討。

江戸続きを読む

下関市豊田町 浮石義民直訴之地

幕末とは全く関係はありませんが、
江戸時代幕府の関係性や、
年貢徴収方法などを知るうえで、
大変わかりやすい「浮石義民の直訴事件」。

椙杜家長府藩筆頭家老だった家系で、
豊田町周辺3100石を領地としていますが、
宝永5年(1708)の旱魃の被害を受けて、
領内は4割程度の収穫となってしまいます。… 続きを読む