盛岡藩」タグアーカイブ

秋田県北秋田市 坊沢宿跡

坊沢宿羽州街道の53番目の宿場町。
かつては浅利氏家臣長崎氏の居館があり、
その城下町だったとされています。


北秋田市坊沢周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。


坊沢宿跡」。
集落としては結構な規模のようで、
往時も大きな宿場だった模様。
領主であった長崎氏は浅利氏没落後、
帰農して名主となったようで、
江戸時代続きを読む

秋田県北秋田市 今泉宿跡

今泉宿羽州街道の51番目の宿場町。
前山宿小繋宿の間にある宿場ですが、
情報があまりありません。


北秋田市今泉周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。


今泉宿跡」。
周辺の他の宿場同様に古い家々は無し。
雪があるせいもあるかもしれませんが、
歩いても何も見つけられませんでした。
秋田戦争では盛岡藩続きを読む

青森県三戸郡 三戸城跡

三戸城三戸南部家の居城だった城で、
約2百年間居城とした聖寿寺館が焼失し、
※家臣の赤沼備中が24代南部晴政を恨み、
 放火したという。
新たな居城として築かれた城です。
熊原川を臨む台地に曲輪を配置した城郭で、
南部家の本拠に相応しい広大な山城でした。


「… 続きを読む

青森県三戸郡 三戸宿跡

三戸宿奥州街道の99番目の宿場町。
南部家の居城三戸城の城下町で、
盛岡城に拠点が移ってからも廃城されず、
城代が置かれ支城として維持されます。
正式に支城として認められたものではなく、
南部家の聖地的な場所として管理され、
石垣補修や掃除などが行われたようで、
※後に城代は廃止され代官支配となります。続きを読む

岩手県二戸市 金田一宿跡

金田一宿奥州街道の98番目の宿場町。
地名の由来はアイヌ語に由来するとされ、
金田(山中の)一(市)という意味があるという。
南部氏の支族四戸氏がこの地を拝領し、
金田一姓を名乗ったともされ、
言語学者金田一京介やその子金田一晴彦等、
有名な学者の名で知られていますし、… 続きを読む