梅園塾跡より南側に進んで三浦梅園墓所へ。
元々三浦家の墓所は旧宅の北側山中でしたが、
宝暦10年(1760)に梅園が父の墓を改葬し、
現在地に墓所を営んだようです。
「贈従四位三浦梅園先生頌徳碑」。
墓所への参道途中にある頌徳碑。
明治45年(1912)に従四位を追贈されており、
これを記念して建てられたもの。
「三浦梅園墓所」。
一族の墓がある三浦家の墓所。
梅園は遺言で墓石や位牌には、
夫婦の戒名を併記するよう指示した為、
妹夫婦からそのような形式の墓となり、
以後は子孫まで同様の墓石となっています。
三浦家の遠祖は相模国三浦の出身で、
故あって国東半島に移り住んだという。
「攣山先生墓」。
覆屋の付いた三浦梅園の墓。
※攣山は梅園の号。
梅園は綾部絅斎や藤田敬所に師事した後、
諸国を巡った後に郷里に戻り、
条理学という独自の学問体系を築きました。
[玄語][贅語][敢語]等の数多くの著書を執筆。
医学、哲学、経世学、儒学、天文学等、
様々な学問に精通していますが、
郷里の国東半島から出る事はなく
諸侯の招聘も断り続けたという。
寛政元年(1789)、死去。
「野梅堂虎角道徹居士之墓(右)」、
「妙覺智〇大姉之墓(左)」。
梅園の父三浦義一と母ふさの墓。
毎日朝夕墓参を欠かさず行ったとされ、
それは雨の日も風の日も続けられて、
亡くなる2日前まで行われたという。
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