萬行寺の本堂横に石蔵卯平の墓があります。
卯平は博多の勤皇商人でしたが、
後に奇兵隊に入隊して活躍しました。
「歡光院殿正誉喜山居士
石蔵嘉左衛門家之墓
贈従五位石蔵卯平忠明之碑」。
石蔵卯平及び石蔵嘉左衛門家の墓。
石蔵嘉左衛門家は博多鰯町の魚問屋で、
対馬府中藩の御用商でした。
主人の卯平は侠気に富んで勤皇の志厚く、
藩内外の尊王攘夷派の志士を援助。
西郷隆盛と月照が安政の大獄から逃れ、
博多に辿り着いた際には、
親戚の白木太七に匿うように依頼しており、
高杉晋作が筑前に亡命した際にも、
最初にこれを受け入れています。
対馬府中藩で勝井騒動が起こった際には、
筑前勤皇党の指示で自ら500両を調達。
これを持って勤皇派を援助しました。
慶応元年には月形洗蔵の書状を持ち、
京都に出て西郷に渡していますが、
返事を持ち帰る帰路で乙丑の獄が発生。
博多に戻れなくなった卯平は、
長州に留まって奇兵隊に入隊します。
野村望東尼の救出にも貢献していますが、
王政復古後の同志糾合で長崎に赴いた際、
偶然にも刺客に狙われていると察知。
天草に逃げて富岡の讃岐屋に潜伏しますが、
隠岐人波多善助ら2人は卯平を執拗に追い、
慶応4年3月4日に襲撃して殺害しました。
潜伏中は小寺幸兵衛を名乗っていたという。
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