平戸新田藩松浦家の墓所は、
雄香寺の平戸藩松浦家墓所の後方にあります。
2度も足を運んでいるのですが、
その存在に全く気が付きませんでした。
「平戸新田藩松浦家墓所」。
平戸藩松浦家墓所の後方にあります。
宗家の墓所に比べれば見劣りしますが、
なかなかに立派な墓所。
ここに2代以外の藩主の墓があります。
「萬松院殿俊哲性英大居士」。
初代藩主松浦昌の墓。
父の宗家4代藩主松浦鎮信の墓と同様に、
円形の墓石を頂く墓碑です。
昌は鎮信の次男として生まれ、
父の隠居の際に1万石を分与されており、
支藩として平戸新田藩を立藩。
17年の治世の後に隠居したようで、
その後は30年間の隠居生活を送り、
享保21年(1736)に死去しています。
蹴鞠が趣味だったとのこと。
2代藩主松浦邑の墓はここにはありません。
邑は僅か2年の治世で父に先立ち病死。
墓所は東京都港区の光林寺のようですが、
訪問した際には見つけられませんでした。
「天球院殿前豊州太守〇山全老大居士」。
3代藩主松浦鄰の墓。
鄰は2代邑の長男として生まれますが、
4歳の頃に父が急死してしまった為、
幼少にして藩主に就任しています。
この為に藩政は家臣らによって営まれ、
成長した後に親政が開始されますが、
享保13年(1728)に24歳で病死しています。
「崇嶽院殿前織染令高雲源致大居士 神儀」。
4代藩主松浦到の墓。
到は宗家6代松浦篤信の六男に生まれ、
末期養子として3代鄰の養子となっており、
その死後に家督を相続しています。
38年の治世の後に隠居して、
天明3年(1783)に死去しました。
「玄性院殿前豫州太守雄巖全威大居士 神儀」。
5代藩主松浦宝の墓。
宝は4代到の長男として生まれ、
父の隠居により家督を相続。
17年の治世の後に35歳で死去しており、
その没年は父と同年でした。
「寛量院殿豐州太守義山宗勇大居士 神儀」。
6代藩主松浦矩の墓。
矩は5代宝の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しています。
20年の治世の後に36歳で死去。
「廣徳院殿前朝散大夫孤峯有隣大居士 神儀」。
7代藩主松浦良の墓。
良は宗家6代松浦篤信の十男松浦義信の子。
継嗣なき6代矩の養嫡子となって、
養父の死後に家督を相続しました。
しかし僅か11年の治世で病を得て、
文化11年(1814)に死去してます。
「西方院殿前豫州太守九皋觀無大居士 神儀」。
8代藩主松浦晧の墓。
晧は宗家9代松浦清の四男に生まれ、
7代良の末期養子として家督を継いでいます。
35年の治世の後に隠居しており、
幕末期の安政3年に死去しました。
「麟祥院殿徳林宗輝大居士
圓珠院殿心含妙輝大姉(右)」、
「松浦豊大人之墓(中央)」、
「松浦家之墓(左)」。
9代藩主松浦脩夫妻の墓、
10代当主松浦豊夫妻の墓、
松浦家の累代墓。
脩は8代晧の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
幕末期の藩主として宗家に従って行動し、
明治元年10月に長男の豊を上洛させ、
新政府に恭順しています。
明治14年に隠居して家督を豊に譲り、
明治39年に75歳で死去しました。
豊は墓碑裏側の碑銘によると、
明治42年に死去したようです。
この墓所は殆ど知られていませんが、
流石は大名といった立派な墓所でした。
■関連記事■
・長崎県平戸市 松浦史料博物館
平戸館山藩の申告上の藩庁。
・東京都墨田区 椎の木屋敷跡
平戸新田藩の事実上の藩庁。
・長崎県平戸市 雄香寺/平戸藩松浦家墓所(再)
宋家平戸藩松浦家の歴代墓所。
