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横岳鍋島家は佐賀藩の家老六家のひとつ。
龍蔵寺家旗本石井信忠の嫡男石井茂里を、
藩祖鍋島直茂が婿養子としていましたが、
直茂に実子鍋島勝茂が誕生した為、
別家を茂里に興させたのが始まり。
茂里は石井家の所領肥前国佐留志領と共に、
国衆横岳頼続の遺領と家臣団を継承。
この為に横岳鍋島家と称されました。
また茂里の受領名が「主水佑」であった為、
「鍋島主水家」とも称されています。
元々は本庄町鹿子の妙玉寺が菩提寺で、
初代当主茂里も葬られていますが、
3代当主鍋島武興の没後に、
4代当主鍋島直朗が曹洞宗の真龍寺を開基。
これを新たな菩提寺としました。
「本堂」。
真龍寺は維新後に横岳鍋島家の支援を失い、
荒廃して明治30年代に本堂も破損。
この状況を憂いた有志の努力によって、
補修が成されたとされており、
更に平成15年に茅葺から瓦葺に改修され、
現在のような姿となりました。
なお初代茂里は日蓮宗だったようですが、
主家の鍋島家が曹洞宗だった関係から、
「殿様が禅宗に帰依して地獄に行くならば、
我もそのお供をして地獄に行くのみ」と、
曹洞宗に改宗したとされています。
「鍋島主水家墓所」。
本堂の裏手にある横岳鍋島家の墓所。
他の家老家の墓所と同様に広い墓域で、
小大名と同様の規模。
ここに歴代当主及び一族の墓があります。
右から、
「見性院殿法山日妙居士」、
「月窓院殿天林妙清大姉」、
「瑞祥院殿花山妙栄大姉」、
「錦光院殿柳阡臺栄居士」、
「妙芳院殿蘭室隆春大姉」。
初代当主鍋島主水茂里の墓、
茂里室伊勢龍姫の墓、
重里の娘で龍蔵寺高房室瑞祥院の墓、
2代当主鍋島淡路守茂宗の墓、
茂宗室妙芳院の墓。
初代茂里は利発な少年だったようで、
その器量を見込んだ直茂が婿養子とし、
直茂の長女伊勢龍姫を正室としました。
茂里は鍋島家の継嗣と定められますが、
直茂の実子勝茂が誕生すると継嗣を辞退。
沖田畷の戦いで初陣を飾りますが、
総大将龍蔵寺隆信が討たれて敗北。
混乱の中で冷静に振舞った事で、
以後の戦での先鋒を任されています。
龍蔵寺家が豊臣秀吉の傘下となると、
人質として小早川隆景に預けられ、
秀吉の九州征伐の際に帰還。
朝鮮出兵でも戦功を挙げており、
柳川の戦いでは作戦立案を担当しました。
佐賀城築城や名古屋城普請でも活躍し、
佐賀藩政の確立にも尽力。
慶長15年(1610)に死去しています。
2代茂宗は初代茂里の嫡男。
茂宗は生来病弱であったようで、
将軍徳川家光の祝儀に遅参しており、
島原の乱でも病気で嫡子鍋島武興が、
その指揮を執っていました。
延宝4年(1676)に52歳で死去。
「真龍寺殿洞外睡雲居士」。
3代当主鍋島武興の墓。
武興は島原の乱が初陣でしたが、
父茂宗が病気で離脱した為に、
叔父の深堀鍋島家当主鍋島茂賢と共に、
これを初陣ながら指揮しています。
請役家老を務めて藩主を補佐し、
藩主が国許に帰還した際には、
江戸留守居役を務めました。
宝永7年(1710)、64歳で死去。
「禅海院殿得應徹心居士(右)」、
「壽量院殿月山青松大姉(左)」。
4代当主鍋島直朗の墓、
直朗室初姫の墓。
4代直朗小城藩初代鍋島元茂の次男で、
3代武興の養子となっています。
佐賀城天守の修理を担当しており、
完成の際に2代藩主鍋島光茂より、
天守の上段の御熨斗を拝領しています。
貞享3年(1686)、38歳で死去。
初姫は光茂の五女として生まれ、
15歳で直朗と婚姻しました。
夫の直朗は若くして死去しますが、
初姫は長く横岳鍋島家に尽くしており、
延享元年(1744)に死去しています。
つづく。
①/②
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・佐賀県佐賀市 妙玉寺
初代鍋島茂里の墓所があります。
・長崎県長崎市 菩提寺/深堀鍋島家墓所
深溝鍋島家の歴代墓所。
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