佐賀県神埼市 真龍寺/横岳鍋島家墓所①

①/

横岳鍋島家佐賀藩家老六家のひとつ。
龍蔵寺家旗本石井信忠の嫡男石井茂里を、
藩祖鍋島直茂が婿養子としていましたが、
直茂に実子鍋島勝茂が誕生した為、
別家を茂里に興させたのが始まり。
茂里は石井家の所領肥前国佐留志領と共に、
国衆横岳頼続の遺領と家臣団を継承。
この為に横岳鍋島家と称されました。
また茂里の受領名が「主水佑」であった為、
鍋島主水家」とも称されています。

元々は本庄町鹿子の妙玉寺が菩提寺で、
初代当主茂里も葬られていますが、
3代当主鍋島武興の没後に、
4代当主鍋島直朗曹洞宗真龍寺を開基。
これを新たな菩提寺としました。


本堂」。
真龍寺は維新後に横岳鍋島家の支援を失い、
荒廃して明治30年代に本堂も破損。
この状況を憂いた有志の努力によって、
補修が成されたとされており、
更に平成15年に茅葺から瓦葺に改修され、
現在のような姿となりました。
なお初代茂里は日蓮宗だったようですが、
主家の鍋島家が曹洞宗だった関係から、
殿様が禅宗に帰依して地獄に行くならば、
我もそのお供をして地獄に行くのみ
」と、
曹洞宗に改宗したとされています。


鍋島主水家墓所」。
本堂の裏手にある横岳鍋島家の墓所。
他の家老家の墓所と同様に広い墓域で、
小大名と同様の規模。
ここに歴代当主及び一族の墓があります。


右から、
見性院殿法山日妙居士」、
月窓院殿天林妙清大姉」、
瑞祥院殿花山妙栄大姉」、
錦光院殿柳阡臺栄居士」、
妙芳院殿蘭室隆春大姉」。
初代当主鍋島主水茂里の墓、
茂里室伊勢龍姫の墓、
重里の娘で龍蔵寺高房瑞祥院の墓、
2代当主鍋島淡路守茂宗の墓、
茂宗室妙芳院の墓。
初代茂里は利発な少年だったようで、
その器量を見込んだ直茂が婿養子とし、
直茂の長女伊勢龍姫を正室としました。
茂里は鍋島家の継嗣と定められますが、
直茂の実子勝茂が誕生すると継嗣を辞退。
沖田畷の戦いで初陣を飾りますが、
総大将龍蔵寺隆信が討たれて敗北。
混乱の中で冷静に振舞った事で、
以後の戦での先鋒を任されています。
龍蔵寺家が豊臣秀吉の傘下となると、
人質として小早川隆景に預けられ、
秀吉の九州征伐の際に帰還。
朝鮮出兵でも戦功を挙げており、
柳川の戦いでは作戦立案を担当しました。
佐賀城築城や名古屋城普請でも活躍し、
佐賀藩政の確立にも尽力。
慶長15年(1610)に死去しています。
2代茂宗は初代茂里の嫡男。
茂宗は生来病弱であったようで、
将軍徳川家光の祝儀に遅参しており、
島原の乱でも病気で嫡子鍋島武興が、
その指揮を執っていました。
延宝4年(1676)に52歳で死去。


真龍寺殿洞外睡雲居士」。
3代当主鍋島武興の墓。
武興は島原の乱が初陣でしたが、
父茂宗が病気で離脱した為に、
叔父の深堀鍋島家当主鍋島茂賢と共に、
これを初陣ながら指揮しています。
請役家老を務めて藩主を補佐し、
藩主が国許に帰還した際には、
江戸留守居役を務めました。
宝永7年(1710)、64歳で死去。


禅海院殿得應徹心居士(右)」、
壽量院殿月山青松大姉(左)」。
4代当主鍋島直朗の墓、
直朗室初姫の墓。
4代直朗小城藩初代鍋島元茂の次男で、
3代武興の養子となっています。
佐賀城天守の修理を担当しており、
完成の際に2代藩主鍋島光茂より、
天守の上段の御熨斗を拝領しています。
貞享3年(1686)、38歳で死去。
初姫は光茂の五女として生まれ、
15歳で直朗と婚姻しました。
夫の直朗は若くして死去しますが、
初姫は長く横岳鍋島家に尽くしており、
延享元年(1744)に死去しています。

つづく。
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