万部島の南側には万部島招魂場があり、
佐賀の乱戦死者212名が祀られています。
この招魂場は官軍のものではなく、
敗れ去った憂国党及び征韓党のもの。
「万部島招魂場」。
大正9年に設置された招魂場。
彼らへの祭祀は許されませんでしたが、
政府は明治18年に弔魂碑の建立を許可。
西門南側に征韓党の弔魂碑が建立され、
川原小路に憂国党の弔魂碑が建立されました。
明治22年には大日本帝国憲法が発布され、
大赦令での恩赦で彼らの罪状は消滅。
大正9年の征韓党弔魂碑の移設にあたり、
旧藩主家所有の万部島への移設が許されて、
憂国党弔魂碑も合祀されました。
「明治七年戦死者諸君之碑」。
征韓党の弔魂碑だったものですが、
その碑銘を削って新たに鍋島直映が揮毫。
幹部らが処刑された4月13日には、
毎年慰霊祭が行われています。
「明治七年戦死者」碑。
両党戦死者の氏名が刻まれた石棟。
贈正四院江藤新平、贈従四位島義勇、
重松信員、中川義純、福島義高、
福地常彰、山田平蔵、村山長榮、西義質、
石井貞興、朝倉尚武、山中一郎、
香月經五郎、中島鼎蔵ら幹部以下、
四面に212名の名が刻まれています。
佐賀の乱は佐賀周辺で行われ、
戦火で多くの被害があったようですが、
庶民は彼らに同情的だったと感じられます。
その理由は不明ではありますが、
やはり政府への不満が勝ったのでしょう。
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