①/②/③/④/⑤/⑥/⑦/⑧/⑨/⑩/⑪/⑫
文久2年3月。
幕府はオランダに軍艦1隻(開陽丸)を発注し、
榎本武揚ら留学生の派遣を決定します。
文久2年6月18日に榎本らは品川を出港し
同年8月23日に長崎に到着。
※出航後に榎本らは麻疹に感染した為、
一時下田で療養しました。
蘭船カリップスでバタビアに向かいますが、
ジャワ島付近で船が座礁して遭難してしまい、
漂流の末に助けられました。
留学生達はなんとかバタビアに到着。
客船テルナーテ号に乗り換えて、
再びオランダに向かっています。
この日記は榎本がテルナーテ号内で執筆。
文久2年11月3日のバタビア出発から、
翌3年2月7日のセントヘレナ島寄港前まで、
その航海の様子が記されています。
————————————————————–
日本11月3日卽
西邦12月22日 午前陰 午后雨
夜明け起きて支度を整え6時に旅宿を発す。
バタビヤ港口より30馬力の小蒸気に乗り、
テルナーテ号に乗り換えた。
バスレイが本船まで送ってくれて、
※バズレイは何(誰?)か判りません
我らが写ったポルトレットを、
余と内田君に贈ってくれた。
※ポルトレットは写真(Portrait)の事で、
内田君は留学生のひとり内田正雄。
昨晩御用状と私状を書いていた為、
一時間半程眠りに就いた。
巳の刻頃に我が部屋を片付けに掛かる。
晩方誤ってラムプガラスで鼻下を切り、
血が出たのでフルバンド(繃帶)を巻く。
食事に不便だった為に今夜は昏睡。
※部屋の片づけの際にランプのガラスで、
鼻下を切ってしまい包帯を巻いてます。
同23日 午前曇 午後薄曇
朝8時50分、錨を抜きて走る。
スタラート(海峡)を通る。
※推測出来る海峡が特定できません。
午後2時40分位に船は浅瀬に乗るが、
偶然ホイス(帆)へ烈風が来て船が出る。
即時錨を投げて泊す。甲必丹(カピタン)曰く、
此辺りはバンク(堆)極めて多くて、
なおかつ西風が吹く季節とのこと。
午後は常に烈しき風が吹く。
故に諸航客は皆午後は錨を投げ打ち、
午前中に走るなりと云々。
碇泊したる処はヲンリユストを、
※オンラスト島(Onrust Island)。
バクホールド(左舷)の方南々東に見る
其午前に2島あり此の間より、
ヲンリユストを見ゆるなり。
深さ11バーテム(尋)。
※性格な位置は判りませんが、
オンラスト島が見えるという事から、
殆ど進めていないようです。
同24日(11月4日) 午前陰
午后時々ボイ(驟雨)来る
朝10時頃に抜錨。
竟日ベイデウインド(旋風)に而して、
ウエンデン(回頭)する。
午后6時35分ホローテコムボイスの先、
カンス、エイテルの後に錨を投ず。
2島共にバクボールド(左舷)側にあり、
碇泊地よりホローデコムボイスは東南東。
本邦より数里位にあり、
カンス、エイテルは西南の方。
日本でいう半里くらいにある。
カンス、エイテルとヤーハの間は、
沈礁が沢山あって航行しないという。
深さ14ハーデム。
7時半頃に月が見え始める。
8時頃より驟雨が又々来て強風となる。
ケッチンフ45ハーテム、
10時になっても未だ雨は止まず。
※ホローテコムボイス、カンス、
エイテル等、色々と地名が出てきますが、
全く見当が付きませんでした。
同25日(日本11月5日)
竟日薄曇陰黄昏ボイ(驟雨)来る
午前中は西風が強く吹き、
午後にはスチル(俄雨)で碇泊。
竟日の蒸し暑さは殆と耐えられず、
午後のスチルの時は甲板上よりも、
カームル(船室)中の方が凄く暑かった。
同26日(11月6日) 竟日薄陰
西風が頗る強くて碇泊したが、
本日は風があるので涼しい。
前から碇泊している船も出ておらず、
竟日僅かに本邦から2-3里進んだだけ。
錨を揚げない方が良かったようだ。
同27日(11月7日) 竟日薄陰
朝7時半に錨を抜く。
是辺りはモットルゴヒン故に、
※Motorgowin=逆風。
前よりの風に而して、
アンクルファストセッテン(揚錨)して、
ヘフボームスアルムを折る。
※Hefboomsarm=レバー。
尤も島の近辺はコラールゴトンドの由なり。
※Koraalgroottond=大きな音。
ベイデウインド(旋風)に而してウエンデンす。
竟日は格別の熱度にあらず、
夜8時を過ぎてしばらくの時間は、
雲が無く晴れて弓月が辺りを照らしたが、
すぐにまたベウアルク(風が吹く?)す。
本日は午後6時頃に投錨す。
今夜明4時頃に驟雨烈風で少時止むが、
1時間に充たず。
同28日(11月8日) 日曜日
今朝7時45分抜錨。12時抛錨。
但し逆風故に益なくウエンデン。
本日の掛所は昨日よりも少しく進む。
プロバビー島はスチュールボール(右舷)、
日本でいう3里程の隔に方向NWTW、
瓜蛙島の高い山(名を不知)の頂きを、
※ジャワ島のGunung Semeru(スメル山)。
バクホール(左舷)南西の同距離位に見る。
今夜は月明かりで風涼しく食物も旨く、
甲板上で歩いた。
ドクトル・エイセレンと12時まで話す。
彼は三等の官医にして歳は25歳なり。
語は窮理を学ぶに及び、
渠云光素はインポンデラビリアと、
名付けしもののひとつで、
最近では一究理学のストフ(要素)であり、
ソーダソートとホットアズ(苛性加里)より、
成立したという極めて新説なれども、
未だ各人の信を取るにいたらずや云々。
※エイセレン医師と難しい事を語ってます。
僕にはさっぱり判りません。
29日(日本11月9日) 午前薄晴
早朝より西風吹く。
午前9時50分に抜錨してウエンデンを開始。
前から数度バタービヤ入港の蘭船を見るが、
今朝は7~8艘の多きに至る。
午后1時20分に投錨。
風逆にしてウエンデン。益なき故なり。
5時前より風は南南西に変わる。
アンクルリンテン(揚錨)に取り掛かる。
5時48分に抜錨して走り、
7時に錨を投げ入れた。深さは10尋余り。
夜に入り風は止んで月明が甲板を照らす。
本日は正午前に海水の色種々なるに驚く。
まさにホースベルスの書中に載する如し。
雲日を渡りて其色は海水に映たるなり。
※ホースベルスは蘭書か何かでしょうか?
その書中に書かれていた風景が、
榎本の目の前に現れたのでしょう。
30日(日本11月10日) 竟日晴
午前9時過ぎに抜錨しウエンデンを始める。
本日の風は激しいけれど、
船は昨日に比べれば大いに進んだ。
過午3時30分錨を投ず。深さ10尋底モッドル。
泊所はKleine pselo Pangdjang
ztw 1/2wに瓜蛙島の高山が見えた。
St.Necolas Punt WtNを見る。
同31日(日本11月11日) 竟日薄晴
午前8時半に抜錨。ウエンデンする。
午后5時頃に錨を投げる。
深さ6ハーデム底モットル。
船の掛所は次に挙げる図の如し。
7時頃より雨が降る.。
今夜は西洋のヲウデヤールにて、
※Oudejaar=大晦日。
闔船皆酒を酌みて唱歌する。
これは我邦でいう忘年会の如し。
パッサギール(船客)一同や我々共に、
互いに酒を掲げて保生を賀す。
愉々快々で夜12時に祝砲3発。
共に新年を賀した。
2時40分眠りに就く。この時雨少し止む。
※異国の海上で新年を祝います。
つづく。
①/②/③/④/⑤/⑥/⑦/⑧/⑨/⑩/⑪/⑫
■関連記事■
・東京都文京区 吉祥寺/榎本武揚墓所
吉祥寺にある榎本武揚の墓。
・「榎本武揚」安部公房
榎本武揚を題材としたミステリー小説。
