福岡県北九州市 小倉城跡(再訪)①

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家族を小倉に送る用事があった為、
この機会に小倉城に行ってみます。
小倉城は下関市の隣北九州市にあり、
その立地的に何度も目にしてはいますが、
近いだけ機会をわざわざ作らなければ、
なかなか足を運ぶことはありません。
子供の頃に天守閣にも登っていますが、
それ程確かな記憶がある訳でもない。
今回は丁度2時間程の待ち時間があるので、
息子を連れて行ってみる事にしました。

小倉城跡西側の勝山公園駐車場に車を停め、
西ノ口門跡から散策します。
駐車場の隣には「松本清張記念館」があり、
作家松本清張の資料が展示されています。
清張は戦後を代表する小説家のひとりで、
推理小説歴史小説ノンフィクション等、
多くの作品を世に送り出していますが
特に社会派推理小説のジャンルを確立させ、
点と線」「砂の器」「黒革の手帖」等、
数々のヒット作が知られています。
未だ定期的にドラマ化もされていますので、
作品に触れていない人は少ないでしょう。
清張は小倉北区の出身。


西ノ口門跡」。
西ノ口門搦手門にあたる西側の門ですが、
細川忠興が小倉城を築城した際は、
こちらが大手門であったようです。


内堀(西側)」。
かつては紫川の水が流入しており、
場内川」という支流だったようですが、
廃城後は埋め立てで紫川から分断。
雨水が溜まるのみの閉鎖的水域となり、
一時は水質が悪化していたようです。
そこで平成6年に紫川支流小熊野川の水を、
ポンプで流入させて水質を改善。
現在はある程度の浄化が達成されました。


松ノ丸跡」。
西ノ門跡より入ると松ノ丸跡
松ノ丸は本丸南側のある曲輪で、
築城当時は藩祖細川幽斎の御殿が建てられ、
その隠居屋敷となっていたようです。
その後の利用状況は不明ですが、
明治18年には歩兵第十二旅団本部が置かれ、
昭和11年には市立記念図書館となりました。


白洲灯台岩松翁記念塔」。
松ノ丸跡にある昭和38年に建てられた記念塔
藍島西側の白洲岩礁海難事故が多く、
これを憂いた長浜浦の庄屋岩松助左衛門は、
白洲岩礁への灯台の建設を決意します。
助左衛門は幕末期より私費での建設に着手し、
明治3年に基礎工事を完成させましたが、
明治5年に助在衛門は死去。
灯台建設は明治政府に引き継がれて、
翌年に初代の木造灯台が完成しました。
この塔は助左衛門が設計した初代灯台を模し、
その功績を称える為に建てられたもの。
※2代目はブラントンの設計という。


鉄門跡」。
松ノ丸跡の北側にある鉄門跡
本丸御殿の通用門だったようで、
一般藩士らが使用したとされます。


槻門跡」。
鉄門跡より東へ行くとある槻門跡
槻門は本丸への正門にあたり、
立派な櫓門が建てられていたようです。
この門は藩主家老の他に、
菩提寺福聚寺の住職英彦山座主等、
重要人物のみが通行出来た格式高い門でした。


大天守」。
昭和34年に再建された鉄筋RC構造の天守。
入母屋破風千鳥破風唐破風等、
多くの装飾が施されていますが、
本来は最上層以外破風が無い簡素な外観で、
これが大きな特徴となっていたようです。
初代の天守は4層5階でしたが、
天保8年(1837)に失火で焼失してしまい、
後に「御三階」と呼ばれた櫓で再建。
この櫓は小倉戦争で自焼されており、
現在の天守は昭和34年に再建されたもの。
再建の際に地元商工会の要望があり、
本来の簡素な外見から破風が追加され、
このような派手な外観になりました。
内部は「小倉城天守閣」の資料館となり、
エレベーターも付けられており、
最上階にはカフェも設置されています。


小倉城天守閣入口」。
一般(大人)350円、小学生100円。
小倉城庭園、松本清張記念館との共通券で、
各種割引にもなります。
微妙に小天守もありますが、
こちらには入れません。


とらっちゃ」とゆきちゃん
小倉城の公式ゆるキャラとらっちゃ
撮影するのを忘れてしまいましたが、
天守閣には「迎え虎」「送り虎」の絵があり、
これをモチーフとしています。


天守閣内に展示されている本来の天守の模型。
本来はこのような外観だったようです。

天守閣を出て天守閣前広場へ。

佐々木小次郎」、
宮本武蔵」像。
天守閣前広場にある佐々木小次郎と、
宮本武蔵の銅像。
巌流島の決闘で知られる両者の像で、
決闘の舞台となった舟島は、
当時小倉藩細川家領であったとされます。
決闘が行われた時期は諸説ありますが、
双方の弟子同志のいざこざから対立し、
それぞれの師である両者が決闘することで、
決着を付ける事になりました。
武蔵が卑怯な手を使ったとか、
正々堂々と戦ったとか諸説ありますが、
とにかく宮本武蔵が勝利して、
佐々木小次郎が死亡したようです。


着見櫓」。
本丸北西側にある着見櫓
櫓上より沖からの通航船を監視した櫓で、
当時のそのままの姿を再現したという。
※公式HPより。
漬物処「糠蔵」の店舗だったようで、
女子プロレスラーデビル雅美が、
店長として勤めていた事でも知られましたが、
令和4年に閉店してしまいました。


第十二師団司令部跡」。
小倉城本丸跡は第十二師団の司令部となり、
大正14年に久留米に移転するまで、
その庁舎が建てられていたようです。
ちなみに師団の軍医部長を務めていたのが、
後の文豪森鴎外だったとのこと。

日本100名城

つづく。
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