熊本県荒尾市 宮崎家墓所

宮崎兄弟幕末明治大正期に活躍し、
自由民権運動に奔走した4人の兄弟達。
宮崎家は江戸時代初期に荒尾に定住し、
熊本藩から世襲郷士身分を与えられて、
玉名郡内の諸役を務めていた他、
荒尾村随一の地主でもありました。
9代目宮崎長蔵は広く学問を学ぶと共に、
二天一流剣術も習得していたとされ、
地主として村民に分け隔てなく接し、
四民平等の先覚者であったという。
その思想は子供達にも受け継がれ、
4人の息子達はそれぞれに活躍しています。


宮崎家之墓」。
荒尾市荒尾190にある宮崎家の墓。
合葬された集合墓のようです。
宮崎四兄弟とされる4人は宮崎長蔵の子で、
次男宮崎八郎(真郷)、六男宮崎民蔵(巡耕)
七男宮崎彌蔵(管仲甫)、八男宮崎寅蔵(滔天)
※長男、三~五男は早世。
次男八郎は明治政府の方針に疑問を抱き、
自由民権運動に奔走しており、
西南戦争が勃発すると熊本協同隊を結成。
民権家同志と共に参戦しましたが、
八代萩原堤の戦いで戦死しています。
六男民蔵は欧米諸国に4年間遊学し、
ロシアの文豪トルストイらと親交。
帰国後に土地復権運動に参加しますが、
政府から警戒された為に大陸に渡り、
孫文の革命運動を支援しました。
七男彌蔵は革命的アジア主義を唱え、
横浜弁髪を結い中国語や風習を学び、
大陸に渡る事を計画しましたが、
志半ばで病没しています。
八男滔天は革命に失敗した孫文を匿い、
その再起を支援。
孫文が革命に成功した後も交友は続き、
滔天が51歳で病死するまで続いたという。
この合葬墓には宮崎家の歴代や、
四兄弟達が入っているようです。


宮崎真郷之墓」。
合葬墓の脇に置かれた宮崎八郎の墓碑。
八郎は父に学問や二天一流剣術を習い、
父と共に長州征伐にも従軍しています。
熊本藩校時習館でも学んでおり、
明治3年に遊学の為に上京しますが、
明治政府の方針に疑問を抱いた為、
以後は自由民権運動に身を投じました。
中江兆民の「民約論」に影響を受けており、
明治8年に植木学校を設立しますが、
その民権主義が県に問題視されて廃校。
西郷隆盛とは思想を異にしていましたが、
まず倒すべきは明治政府であるとして、
熊本協同隊を結成して参戦しています。
上記のように八代で戦死していますが、
勝利後は西郷とも戦うつもりたったという。

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