自由民権運動に尽くした宮崎兄弟。
その生家が荒尾市に残されています。
宮崎兄弟は宮崎長蔵の子供達で、
次男宮崎八郎(真郷)、六男宮崎民蔵(巡耕)、
七男宮崎彌蔵(管仲甫)、
八男宮崎寅蔵(滔天)の4人の兄弟。
八郎は西南戦争で戦死しますが、
民蔵、彌蔵、寅蔵は革命家孫文を援助し、
辛亥革命に大きく貢献しました。
「宮崎兄弟の生家」。
宮崎家は江戸時代初期に荒尾に定住し、
熊本藩から世襲郷士身分を与えられて、
玉名郡内の諸役を務めていた他、
荒尾村随一の地主でもありました。
その遠祖は菅原道真ともされており、
江戸時代初期に初代当主宮崎正之が、
荒尾手永の惣庄屋古沢弥左衛門の娘を妻とし、
荒尾に定住したのが家門の始めとされます。
「宮崎兄弟の生家」はその主屋や、
資料館となっている蔵が現存しています。
宮崎家は民権運動や孫文の支援に財を使い、
四兄弟で最後まで残った宮崎民蔵が、
昭和3年に死去した後は借金のみが残り、
屋敷は競売にかけられました。
これを昭和6年に川口甚平が購入し、
川口家の住居として使用。
後の昭和48年に熊本県指定文化財となり、
宮崎兄弟の生家として保存される事となり、
平成4年には荒尾市が川口家から購入し、
整備及び資料館を建設して現在に至ります。
「宮崎兄弟の生家(主屋)」。
宮崎家が代々暮らした家。
残念ながら訪問時は屋根漆喰補修工事中で、
工事用の養生幕で覆われていました。
四兄弟やその父宮崎長蔵が生まれ育ち、
ここで暮らしたようです。
「生家内部」。
荒尾随一の地主であった宮崎家は、
相当の財力があったようですが、
父長蔵は窮民の救済に私財を投じ、
経済的には困窮していたようです。
更に西南戦争で次男宮崎八郎が戦死すると、
残った息子らに「官の飯を食うな」と厳命。
兄弟らはその後も官職に就く事無く、
相続した土地財産を切り崩して活動を続け、
暮らしは困窮していたとされます。
この家は宮崎家の最後の財産だったようで、
民蔵の死と共に競売に掛けられました。
宮崎家に支援されていた孫文は、
辛亥革命後の大正2年に宮崎家を訪れ、
宮崎寅蔵(滔天)と筆談で会話。
宮崎家の生家ではこれを人形で表現してます。
資料館には兄弟や孫文に関する文書や、
写真、新聞等を展示しているようですが、
今回は時間が無くて入りませんでした
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