恩地トミの口述筆記②

/②/
つづき。

此時赤間ヶ関赤間町住恩地與兵衛妹トミヲシテ、
妾トセラレ(井上庄助ノ計ヒナリ)、
御在住中或日近傍不穏ノ徒徘徊シ、
風説百出忠光朝臣ニ対シ、
粗暴ノ挙動アル哉モ計リ知レストノ趣ニテ、
周防国湯玉村大庄屋石川良平方ヘ御立退、
 この時、赤間関赤間町に住む恩地與兵衛の、
 妹トミを妾とされた(井上庄助の斡旋)。
 御在住中のある日近辺に不穏の輩が徘徊し、
 噂が広がって忠光朝臣に対して、
 粗暴の挙動があるやも知れずとなったので

 周防国湯玉村の庄屋石川良平宅へ移った。
 ※井上庄助は奇兵隊士井上奨輔か?
  湯玉は周防国ではなく長門国です。


二三日御滞留同所ヨリ、
豊浦郡田耕杣地白瀧山中ノシヲン寺ニ御潜匿、
元治元年十一月二日夜同所ヨリ、
一里程隔離シタル矢櫃村庄屋某方ヘ御立退、
 2~3日御滞在した後に、
 豊浦郡田耕杣地の四恩寺に御潜伏。
 元治元11月2日の夜に同所より、
 1里程離れた矢櫃村庄屋某方ヘ御立退き。
 ※田耕迄の行程はかなり端折られています。
  矢櫃村庄屋某は大田新右衛門でしょう。


無事御着同日三日ヨリ御発熱御苦悩アリ、
然ルニ同夜十時尚又同所御立退アランコトヲ
促ス者アリ、御病苦中行装ヲ整ヘ、
直ニ御寓居ヲ発セラル、
(府中藩足軽三浦市十郎松村良太郎従フ)
 無事に御着きになった同日3日より、
 御発熱されて御苦悩されてましたが、
 同夜10時頃に同所の立退を促す者があった。
 御病苦の中で行装を整えられ、
 すぐに御寓居を発せられた。

 (長府藩足軽三浦一十郎松村良太郎が従う)
 ※発熱中にも関わらず旅装を整えて、
  すぐに出発していることからも、
  忠光自身も危険を感じていたのでしょう。

  この際にトミは同道していません。

無程矢櫃村庄屋某立戻リ、
狼狽言ハント欲シテ言ハス、
傍ヨリ飲水ヲ与ヘ漸クシテ曰フ、
忠光朝臣ノ村外ニ至ラルゝヤ、
覆面ノ悪漢五六人白刃ヲ振ヒ襲ヒ掛リ、
君ノ御行衛知レス随従ノ者ハ、
御所在ヲ捜索スト云々、
(トミ後ニ按スルニ当夜松火ヲ携ヘ、
山麓ヲ奔走スル者アリシヲ認メヌ、
此日直記ナル者朝来言語ナク、
何歟物按シノ姿アリ依テ考フレハ、
内外相通シ忠光朝臣ニ害ヲ加ヘタルモノ
ナラント云々)、
 程なく矢櫃村の庄屋某が立ち戻リ、
 狼狽して話すことも出来なかったので、
 飲水を与えてしばらくすると話し出した。
 曰く忠光朝臣が村外に出た際に、
 覆面の悪漢5~6人が白刃を振って、
 襲い掛ってきたという。
 君の安否は判らないと云い、
 随従の者は御所在を探索すると云々

 (トミが後に案ずるに当夜松明を携え、
 山麓を奔走する者達を見たという。
 この日直記なる者が朝何も話さず、
 何やら不振な行動だった事を考えれば、
 内外で通じて忠光朝臣に害を加えようと、
 していたのではないかと云々)。
 ※庄屋某が急いで戻って来て、
  悪漢の襲撃を伝えようとしますが、
  狼狽して話すことが出来きません。
  そこで水を飲ませて落ち着かせたと、
  非常に緊迫した状況が伺えます。


翌朝ニ至リ直記ナル者トミニ向ヒ、
此處ニ止ラハ身危シ、
早ク長府江尻半右衛門方ヘ、
退カンコトヲ勧ハ爰ニ不審ナルハ、
山中ノ村落ニシテ駕籠ヲ供ヘ之ニ乗ラシム
 翌朝に至って直記という者がトミに向かい、
 ここに居ては身の危険がある。
 早く長府の江尻半右衛門方ヘ逃げろと、

 トミに勧めてきた。
 不審なのは山中の村落であるのに、
 駕籠が用意されていてこれに乗せられた事。

 ※今で例えれば田舎で呼びもしなのに、
  外に出たらタクシーが待っていた感じ。
  それはかなり不審でしょう。


つづく。
/②/

■関連記事■
恩地トミの写真
 恩地トミと中山仲子の写真。
下関市綾羅木 中山神社/中山忠光墓所
 逃避行の末に殺された中山忠光の墓。
京都府京都市 廬山寺/中山家墓所
 羽林家中山家の歴代墓所。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です