恩地トミの口述筆記③

//③
つづき。

途舁夫ニ問ヘハ、
前夜府中ヨリ差向ケラレタリト云フ、
復前夜来ノ模様ヲ問ヘハ、
別ニ怪シムヘキコトナキモ白木長持ヲ舁キ、
払暁通行セシ者アルヲ見タリト云フ、
若シクハ忠光朝臣ヲ殺害シ遺骸ヲ入レ、
持行タルコトナラン歟ト、
 途中で駕籠夫に問えば、
 前夜に長府より差し向けられたという。
 前夜からの様子を聞けば、
 別に怪しむべき事はなかったが、
 夜明けに白木の長持を担ぐ者を見たという。

 たぶん忠光朝臣を殺害して遺骸を入れ、
 運んでいったのだろう。

 ※緊迫した状況の中で正確な推測。
  余程聡明な女性だったのか、
  色々と聞き及んでの推測でしょうか?

トミ途中無恙府中江尻半右衛門方ヘ着シ、
其後トミ生家赤間町恩地與兵衛方ヘ、
立戻リ潜伏ス、
トミハ忠光朝臣ノ御子妊娠中ニテアリキ
 トミは無事に長府江尻半右衛門方ヘ到着。
 その後に生家赤間町恩地與兵衛方ヘ戻る。
 トミは忠光朝臣の御子を妊娠中であった。


一 トミ生家恩地潜匿中浪士池庫太
(後平戸沖ニテ難風ニ遭ヒ溺死セシ由)、
後藤新蔵、林半七、山岡利郎(丹波ノ者
忠光朝臣ニ随ヒ居黴毒ニテ死ス)輩来訪、
忠光朝臣ノ安否ヲ訊ク答フルニ、
矢櫃村ノコトヲ以テス衆忿怒面ニ溢ル、
 トミが生家の恩地家で潜伏中、
 浪人池内蔵太(後に平戸沖にて暴風に遭い、
 溺死したという)、後藤新蔵林半七
 山岡利郎(丹波の者で忠光朝臣に従い、
 梅毒にて死去)等が来訪。
 忠光朝臣の安否を聞くので答えると、
 矢櫃村の事で皆は怒り狂った。

 諸隊は忠光暗殺をトミから聞いた模様。

因テ同村庄屋某ニ就キ、
詳細尋問センコトヲ託ス、
後チ池庫太ノ輩果シテ矢櫃村庄屋某方ニ至リ、
忠光朝臣ヲ埋葬セシ綾良木村ヲ知リ、
墳墓ニ至レリ其碑微々タルヲ見慨嘆スト云フ、
傍酒店アリ酒ヲ購ヒ供シ一同跪拝セシ由、
 そして同村庄屋某の許へ行って、
 その詳細を尋問する事を託した。
 後に池内蔵太等は矢櫃村庄屋某方に至り、
 忠光朝臣を埋葬した綾羅木村を知り、
 その墳墓に至って墓碑の小ささを見て、
 慨嘆したという。

 近くの酒店で酒を購入して供え、
 一同は跪いてはいしたとのこと。


亦トミ妊娠九ヶ月ニシテ、
長府藩伝七(姓不知)方ヘ引取ラレ、
翌年五月分娩御女子御誕生(仲子様)アリ、
産後九日目暁池庫太其外来リ、
曰フ母子危難ノ慮リアリ立退ヲ勧ム、
 またトミは妊娠9ヶ月にして、
 長府の大庭伝七方へ引取られ、
 翌年5月に御女子が御誕生(仲子様)した。
 産後9日目に暁に池内蔵太らが来て、
 母子が危険であるから逃げるよう勧めた。


其意ヲ了シ直ニ同所ヨリ乗舩
(浪士舟中ヲ警戒ス)、
吉田町長州奇兵隊屯所ニ着シ本陣ニ宿泊シ、
奇兵隊ノ守護ヲ受ク、
 その意見に従って同所より船に乗り
 (浪士らが船中を警戒した)、
 吉田町の奇兵隊屯所に到着して本陣に宿泊。
 奇兵隊の守護を受けた。


其後本藩井上庄三郎藩命ヲ帯ヒ来リ、
奇兵隊ニ示談ノ上母子ヲシテ、
矢ハラ村真宗寺ニ移ス居ルコト八十日程ニシテ、
同村岡屋彦四郎方ヘ転ス、
 その後本藩井上庄三郎が藩命でやって来て、
 奇兵隊と示談のうえで母子共に、
 矢原村真宗寺に移って80日程して、
 同村の岡屋彦四郎方ヘ転じた。
 ※本藩の庇護に移って矢原村に移住。
  真宗寺という寺はありませんが、
  これは真宗の寺という意味かもです。


且綾良木村御墳墓ハ吉田町屯在ノ奇兵隊ニテ、
御石碑ヲ改造セシ由専ラ之ニ與リタル者ハ、
林半七ナリト云フ
 綾羅木村の御墳墓は吉田村の奇兵隊が、
 御石碑を新たに造ったという。
 これに携わったのは専ら林半七だという。


随言
忠光朝臣大和ニ兵ヲ挙ケラレ敗レテ、
長門ニ投スルノ折御供セシハ、
天宮源太郎、石田英吉、山岡利郎、
宮田半四郎、久留米藩ナリト云
 忠光朝臣が大和で挙兵して敗れ、
 長門に落ち延びた際の御供したのは、
 天宮源太郎石田英吉山岡利郎
 宮田半四郎久留米藩であったという。



長府藩士林群平ナル者ハ、
同藩剣道師範家ニテアリ、
此者忠光朝臣ヲ存命セシメハ国ノ為メ、
宜シカラストノ発言シ、
同志泉十郎ナルモノ忠光朝臣ヲ、
暗殺セシ哉ノ風聞アリシト云フ、
最モ両人トモ終ヲ全フセス、
非命ノ死ヲ遂ケタリト云々
 長府藩士林群平なる者は、
 同藩の剣道師範家にありて、
 この者は忠光朝臣を存命させるのは、
 国の為にならないと発言しており、
 同志の泉十郎なる者は忠光朝臣を、
 暗殺した者との風聞があるという。
 もっとも両人共に天寿を全うせず、
 悲業の死を遂げたという。


以上、「恩地トミ口述筆記」でしたが、
口述をそのまま書いたものではなく、
中山孝麿かその家人が口述を基に、
書き残したもののようです。
年月が経過していますので間違いや、
記憶違いが点在はしていますが、
当事者故の逼迫感は何より正確かもです。

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