澤太郎左衛門のオランダ滞在日記③

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つづく。

10月4日未雨 火曜日
昼後3時20分「アントウケルプ」より、
※アントウェルペン(Antwerpen)。
ハーゲ」の下宿に戻り「ベフト」氏に、
ヘルヴィリヨン説話の事を話すと、
同人が直に請け合ってくれて、
何時でも証人になると言ってくれた。
よって内田恒次郎方へ行き、
ウェッテレン」の事情並びに、
「ベフト」証人の件をひととおり話し、
一時雇人に成る事を申し出たところ、
同人が曰く表向には受け入れられないが、
然し伝習の一環であるならば、
内々自分の勝手で雇人となり、
一見する分は妨げる事はないと云う。
只し万が一に支障等が起きたとしても、
一切関係せずと述べた。
※内田は留学生の取締役

10月6日酉天気 水曜日
今朝8時10分の汽車にて「ハーゲ」を発し、
夕6時「ブリュッセルの、
ホテル、ド・スウェー」に到着。
夜8時に「メフロー、ミミ」を訪問し、
「ベフト」氏の証書を出し、
「ヘルヴィリヨン」に再度頼む旨を伝える。

10月8日亥曇 土曜日
朝10時「ヘルヴィリヨン」方へ、
「メフロー、ミミ」と同行して面会したところ、
来る10日「ゲント」の汽車にて、
「ウェッテレン」へ同伴すべき旨申し出る。
 このとき「ヘルヴィリヨン」曰く、
 火薬所雇中は工夫の衣類を着るべし、
 食事は「スウアルテ・ブロード」三斤、
 ※Sourdough bread=酸味のあるパン
 「スベッキ」四分の一斤を与え、
 ※Speculoos=ベルギーのクッキー。
 日給は30サンチュムを給与すと。
 ※Centime=フランス語圏の通貨。
右の様に10月11日より「ウェッテレン」の、
コーバル火薬製造所に入り、
※ウェッテレンの火薬製造所は、
 正式名Koninklijke Buskruitfabriek Cooppal。

12月20日まで工夫に従事し、
職工頭コロムホート」なる者と親しくなり、
炭化竃硫黄蒸溜竈及び、
水壓器等の図面を借り受け、
乾燥室温度並びに壓磨器の分量を教授す。
「ヘルヴィリヨン」なる者は製鐵器械師にして、
「ウェッテレン」製薬所の事は全て引き受け、
諸工夫は皆懇意にして、
多くは此者の手により入りし者なり。
この年12月25日に「メフロー、ミミ」に相談し、
当時注文すべき火薬製造機械鐵製の分は、
「ヘルヴィリヨン」に製造を注文し、
翌寅年9月6日に落成となる。
 但し炭化竃、及び二成分配合桶
 其の小部分の機械、その他「メートル」類は、
 「バルハンシュス」の世話の機械師、
 「ハルトフ」氏に託す。
この火薬製造器械の全落成は、
慶應2寅年9月24日にして、
器械運転の試験を成せたのは、
翌25日「デルフト」の「ハルトフ」方で行う。
※Delft=オランダの都市。
この時赤松大三郎に立ち合いを頼み、
※赤松は留学生のひとり。
日本への送り方は「バルハンシュス」及び、
デヴェット」に委託する。

以上が「澤太郎左衛門オランダ滞在日記」です。
柴田日向守に火薬製造機の購入を頼まれ、
紆余曲折の末にその発注に成功。
多くの機械と技術を持ち帰りました。
日記には感想は記載されておらず、
淡々と事実を記載していますし、
何かあった日のみ記載され
毎日書かれたものではない模様。
その割には日付の記載が統一されており、
几帳面な性格が垣間見られます。

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