新高山城は小早川隆景の居城だった城で、
続日本100名城のひとつ。
居城であった高山城の対岸雄高山に、
※高山城のある山は雌高山という。
元々小規模な砦が築かれていましたが、
これを天文21年(1552)に隆景が拡張し、
新高山城としてその本拠としたものでした。
慶長元年(1596)に三原城に移転するまで、
小早川家の本拠として機能し、
永禄4年(1561)には毛利元就と毛利隆元が、
ここに訪問して数日滞在しており、
連日饗応が催された記憶が残っています。
「新高山城図(現地案内板より)」。
麓に駐車場も整備されており、
登山用の竹杖も置かれています。
頂上までは片道20分程とのこと。
「新高山城登城口」。
麓にある荒神社の脇道より登ると、
新高山登城口に至ります。
ここまでは舗装されていました。
殆ど道らしき道ではありませんが、
なんとなく整備されている風。
お金は掛けられないながらも、
人の手で綺麗にしてる感があります。
「番所跡」。
ある程度登ると現れる番所跡の空間。
まあまあ大変な道だったので、
番所で追い返されると嫌ですね。
途中に「鐘の段」という曲輪への道がありますが、
体力的な事を考えて行きませんでした。
更に進むと広い空間が表れます。
「匡真寺跡」。
天正5年(1577)に隆景が父元就の七回忌、
母妙玖尼の三十三回忌の際に建立した寺で、
小早川家の菩提寺としました。
後に三原に移転して宗光寺となっています。
更に進む。
「中の丸(二の丸)跡」。
頂上部の曲輪の中央にある中の丸跡。
西側の西の丸等の曲輪や、
北東側下段の東の丸等の曲輪、
そして本丸へと通じています。
「本丸跡」。
中の丸跡の東側にある本丸跡。
新高山城内で最も広い曲輪だったようで、
大きな建物が建っていたようです。
更に東へ。
「詰の丸跡」。
本丸より奥にある詰の丸跡。
文字通り詰めの曲輪だったようですが、
何より景色が素晴らしい。
ここまで確かに20分少々掛かりましたが、
その苦労が報われる光景です。
また多くの石仏も置かれていました。
「高山城跡」。
詰の丸跡より望む高山城跡。
新高山城移転後も存在したようですが、
三原城築城の際に石垣等が崩されて、
建築資材として持ち去られた模様。
「沼田川」。
詰の丸跡より望む沼田川と本郷の町並み。
コバノミツバツツジが美しく咲いており、
城跡のアクセントとなっています。
行政なのか地元の有志のおかげなのか、
古い城跡ながら楽に登る事が出来ました。
これは定期的な整備の賜物なのでしょう。
※もちろん体力的にはしんどいです。
来て良かったです。
●日本100名城
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