三原城は小早川隆景が築城した城で、
江戸時代は広島藩の支城となり、
一国一城令の例外として存続されました。
元々は水軍の拠点として沼田川河口に築かれ、
効率的な小早川水軍の運用に貢献しましたが、
10年の歳月を掛けて整備が行われて、
本格的な梯郭式の城郭へと変貌。
隆景も慶長元年(1596)に本拠を移し、
小早川水軍の運用に効果を挙げています。
後に隆景は筑前国の加増により、
名島城に本拠を移転させていますが、
文禄4年(1595)に隠居すると三原城へ戻り、
更に堅牢な要塞として三原城を整備し、
慶長2年(1597)に同地で死去。
関ケ原の戦い後に小早川家は岡山に移り、
三原は福島正則が領する事となって、
その甥福島正之が入城しますが、
後に正之は狂疾を理由に幽閉されています。
福島家の改易後は浅野家の所有となり、
広島藩の支城として浅野忠吉に与えられ、
以後は三原浅野家が代々城主を務めました。
「天主台」。
広い内堀に囲まれた天守台。
三原城跡には本丸跡にJR三原駅が建設され、
駅構内より直接天守台に行ける稀有な城跡。
本丸跡に新幹線駅が建てられた例は、
越後の長岡城跡がありますが、
殆ど遺構は破壊されてしまっており、
三原城跡のように面影は残っていません。
それに比べればこのように遺構が残され、
ある意味共存しているのは奇跡でしょう。
「天守台上部」。
駅構内より直接登る事が出来ます。
大きくてさぞ立派な天守が建ちそうですが、
天守は建てられてはいなかったようで、
二重櫓が3棟建てられていたとのこと。
「小早川隆景公之像」。
内堀西側の隆景広場にある小早川隆景の像。
三原市はやはり「隆景推し」の模様。
但し「推し」が強すぎるような気もして、
江戸時代を通じて三原を治めた三原浅野家は、
余り目立たない存在となっています。
とはいえ三原の基礎を造ったのは隆景で、
知名度からしても仕方ないのでしょう。
「金之間跡」。
JR三原駅南口辺りに本丸御殿がありました。
碑の辺りが御殿の客間だったようで、
「金之間」と称されていたようです。
「船入櫓跡石垣」。
各所に石垣遺構が点在していますが、
天守台を除いて最大の石垣遺構です。
「三原城址之碑」。
船入櫓石垣の脇に建てられた跡碑。
「聖トマス小崎像」。
船入櫓石垣の先端近くにあります。
トマス小崎は日本二十六聖人のひとりで、
長崎で殉教した16歳の若者。
長崎県長崎市 日本二十六聖人殉教地
彼は長崎へ向かう途中の三原城にて、
自らの母に宛てた手紙を残しています。
この像は平成5年に建てられたもの。
「船入櫓跡石垣上部」。
こちらの石垣にも登れます。
南西隅に二重櫓が建てられていたようで、
船の出入を監視していた模様。
この他にも石垣や堀の遺構が点在しています。
確かに城跡の大部分が破壊されており、
往時の三原城ではなくなってはいますが、
訪問してみると意外に多く現存している印象。
上記した長岡城跡や京都の宮津城跡等、
完全に姿を消した城跡もあるくらいですので、
それらに比べればに残っている方でしょう。
●日本100名城
■関連記事■
・広島県三原市 妙正寺/三原浅野家墓所
三原浅野家歴代の墓所。
・鳥取県米子市 米子城跡
続日本100名城。
・岡山県岡山市 備中高松城跡
続日本100名城。
