広島県三原市 宗光寺/浅野忠長墓所

宗光寺は天正5年(1577)に小早川隆景が、
新高山城内に匡真寺として建立した寺院。
広島県三原市 新高山城跡
隆景の父母毛利元就夫妻の菩提を弔い、
小早川家の菩提寺として庇護され、
三原城築城と共に現在地に移転しています。
元々は臨済宗の寺院だったようですが、
後に福島正則が芸州を与えらると、
曹洞宗に改宗されて宗光寺に改称。
以降は周辺地域の曹洞宗寺院の中心となり、
末寺37ヵ寺を要する程に隆盛しました。


山門」。
石段上にそびえる巨大な山門
非常に大きな切妻造本瓦葺四脚門で、
全国でも最大級の規模を誇ります。
新高山城の城門を移築したとされますが、
福島時代に新築されたという説が有力。
国指定重要文化財


本堂」。
本堂の築年は調べても判りませんでしたが、
享保10年(1725)に山門を除き全焼したようで、
現在の本堂はそれ以降の再建。

本堂裏手に浅野忠長の墓があります。

捐舘 實相院殿逃外周逋大居士」。
三原浅野家2代当主浅野忠長の墓。
加藤光泰の家臣大橋清兵衛の子ですが、
母は初代当主浅野忠吉の娘でした。
その関係から継嗣なき忠吉の養子となり、
浅野家に仕えて大坂の陣に参戦。
元和7年(1621)に養父忠吉が死去すると、
その家督を相続して家老に就任し、
三原領を与えられて三原城主となります。
江戸城普請等で活躍すると共に、
三原領内の整備開発を勧め、
主君の浅野幸長浅野長晟を良く補佐。
万治3年(1660)に死去しました。


隣にある2基の五輪塔
風化で正確な碑銘が読めませんが、
「~大禪定門」、「~大姉
」と読めますので、
忠長の奥方と早逝した長男のものでしょう。

近くには福島正之の墓もあります。

天英公光大禪定門」。
三原城城主福島正之の墓。
別所就治の三男別所重宗の七男に生まれ、
叔父福島正則の嫡男が早逝した為、
正則の養嗣子となっています。
後に正則は安芸備後2国を与えられ、
正之を三原城主に任じますが、
慶長12年(1607)に狂疾があるとして幽閉。
正則は次男福島忠勝を継嗣としており、
正之は食を絶って翌年に餓死しました。

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