岩倉獄は萩城下にあった獄舎。
大組士野山六右衛門と岩倉孫兵衛は、
通路を挟んだ両側に屋敷を持ちましたが、
両家の仲は悪かったという。
そして正保2年(1645)9月17日の夜に、
岩倉孫兵衛が泥酔して野山邸に押し入り、
野山家の家族を惨殺してしまいます。
岩倉は捕らえられて野山邸に監禁され、
後に斬首されていますが、
喧嘩両成敗の為に野山家も取り潰され、
両家の跡地は獄舎が建てられました。
非は岩倉孫兵衛にあるとして、
岩倉邸跡の獄を下獄と設定し、
野山邸跡の獄が上獄と設定。
以後両獄舎は江戸時代を通じて使用され、
幕末期には多くの政治犯が投獄されて、
志半ばにして命を散らしています。
野山獄及び岩倉獄平面図。
跡碑のある場所は赤い字の場所。
「岩倉獄跡」。
庶民出身の罪人を収監した岩倉獄跡。
野山獄と比べて劣悪な環境だったとされ、
雑居房であったとされています。
獄内では着物や食物が十分に与えられず、
衛生状態も極めて悪かったという。
「金子重輔君絶命之處」碑。
吉田松陰と共に密航を企てた金子重輔は、
松陰と共に萩に送還されますが、
足軽身分であった為に岩倉獄に収監。
岩倉獄の劣悪な環境で金子は体を壊し、
収監から僅か2ヶ月で死亡しています。
この碑は大正13年に建立されたもので、
26代総理大臣田中義一の書。
。
「獄中聞渋木生赴」碑。
金子の死を悼んだ吉田松陰の詩碑。
渋木生は金子の変名渋木松太郎の事で、
松陰は獄中で金子の死を知ります。
獄中聞渋木生赴
驛舎典君訣匆々不盡詞
囚繋在各所消息不相知
江海呑舟魚徒囚半畝池
籠鳥失故林未忘群飛時
鼓角自晨暮會見不知期
夢魂尚相遂聞訃却自疑
豈計生別離更為死別離
友人吉田寅二郎矩方
※獄中で渋木生の訃報を聞く
駅舎にて君と別れたが、
慌ただしく会話も出来なかった。
囚人は繋がれて各所に在り、
その消息は互いに判らない。
広い海の大きな魚は、
徒に小さな池に囚われている。
林を失った籠の鳥も、
群れで飛び立つ時を忘れない。
時は過ぎゆくが会見は出来ない。
夢では心が通じ合っていたので、
その訃報を聞き信じられない。
まさか生き別れになって更に、
死別が訪れるとは。
友人吉田寅二郎矩方
この碑は昭和8年に建立されています。
岩倉獄は庶民の獄舎だっただけに、
金子の逸話しか資料がありませんが、
その環境下で多くの囚人達が命を落とし、
帰らぬ人となっていた事でしょう。
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