広島県呉市 御手洗②

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つづき。

常盤町通り」と「相生通り」の交差点まで戻り、
道を東(北東)に進みます。


相生通り」。
御手洗のメインストリートだった「相生通り」。
新光時計店御手洗昭和館等の店があります。
「常葉町通り」は江戸時代の雰囲気でしたが、
こちらは昭和レトロといった印象。


乙女座」。
昭和12年に当時の御手洗町長鞆田稔が、
私財を投じて建てた劇場です。
当時としてはモダンな劇場として、
映画芝居大道芸の興業や、
青年会の社交場に利用されていました。
昭和40年代まで映画館として使用され、
閉館後はみかんの選果場に転用。
その後は長く空家となっていましたが、
平成14年にイベント会場として復元され、
多種多様な催し物が開催されています。


GUESTHOUSE醫(越智医院跡)」。
「相生通り」の突き当りを右に行くと現れます。
大正時代に建造された洋館で、
現在は宿泊施設になっているようです。


脇屋家住宅」。
薩摩藩の常宿であった船宿脇屋
文政年間(1818-1830)の建築とされ、
越智医院跡の道向かいにあります。


七卿落遺跡(竹原家住宅)」。
延岡藩の御用達だった竹原家の住宅で、
藩より20人扶持を与えられていたという。
元治元年8月25日。
鞆浦を出港した七卿は御手洗に寄港し、
宿泊はせずに出港したようですが、
どこで休憩したのかは不明です。
その後に長州藩京都に進発しますが、
それに呼応して五卿も入京を試み、
※七卿のうち二卿は離脱。
多度津まで渡っていました。
そこで長州藩の敗北を知った為、
再び長州に引き返しましたが、
その途中に御手洗に寄港しており、
元治元年7月22日から7月24日まで、
竹原家で2泊しています。


恵美須神社」。
御手洗で最も古い神社とされる恵比寿神社
千砂子磯に夜な夜な光るものがあり、
それを漁師が引き上げてみると、
蛭子神像であったので祀ったという。
現在の本殿は元文4年(1739)の再建で、
拝殿は明和元年(1764)の再建です。


「御手洗湊(北側)」。
北前船が積荷を陸揚げしていた場所で、
往時は大雁木があったようです。

港町

つづく。
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